The Virtue of Selfishness(利己主義という気概)を読む(8)
アイン・ランドの"The Virtue of Selfishness"のIntroductionの冒頭の一部を解釈していきます。
今回の内容は下記の続きです。
語彙
単語の意味はOxford Advanced Learner's Dictionary 10th Editionから引用しています(→は補足の説明)。
・indictment:countable, usually singular] indictment (of/on somebody/something)a sign that a system, society, etc. is very bad or very wrong
→誤った体系や社会を示すもの→不正の兆候
(CERF C1)
・profiteer:a person who makes a lot of money in an unfair way, for example by asking very high prices for things that are hard to get
→不正な仕方で大金を稼ぐ人→不正な利得者
・benevolent: (formal) (especially of people in authority) kind, helpful and generous
→親切さや寛容さ
ポイント解説
第一文、—a man who以下はa self-respecting, self-supporting manを具体的に説明しています。
第二文、It means thatの部分は下記のように—でOとなるthat節が並列されています。
that altruism permits no view …
—that it(=altruism) permits no concept …
—that it(=altruism) permits no concept …
except as sacrificial animals and profiteers-on-sacrifice, as victims and parasitesの部分、asによって二つの名詞が並列されています。sacrificial animalsとvictims、profiteers-on-sacrificeとparasitesはそれぞれ犠牲の対象とその犠牲によって利益を受けるものという対応関係になっています。profiteersの単語がわからない場合でも、parasitesとマイナスの要素との並列があることから、単なる受益者ではないと類推することもできます。
訳
「利己主義」という言葉によって私が意味するのは、伝統的にそれが意味している内容ではないということが真実だとすれば、これは利他主義の最悪の兆候の一つである。要するに、利他主義は自己尊重をし、自己を支える人々、いうなれば自身の努力によって、人生を生き、自身も他者も犠牲にしない人々のことなのだが、という概念を許容しないのである。利他主義は自己を犠牲にする動物と自己犠牲によって不正に利益を受ける者、犠牲者と寄生者という例外を除いて、利他主義は人々のあらゆる見解を許容せず、人々の間の寛容な共存という概念も許容せず、正義の概念さえも許容しないということを意味するのである。
語彙
・cynicism:the belief that something good will not happen or that something is not important
→良いことが起こらないないしは物事が重要でないとする信条→斜に構えた考え方→冷笑主義
または、
→cynical + -ism→冷笑主義
ポイント解説
in whichが説明する名詞はthe ugly mixture …と考えられます。
most men spend their lives in the ugly mixture of cynicism and guilt
cynicism and guiltを説明するとも考えられますが、その場合cynicismとguiltをそれぞれ修飾するということになるので、より包括的なthe ugly mixtureを説明していると考える方がここでは自然と思われます。最初の—以降はそれぞれの名詞をあげた理由について説明しています。guiltの前の—は名詞を並列していると捉えて良いでしょう。
cynicism, because they neither practice nor accept the altruist morality
—guilt, because they dare not reject it.
訳
多くの人々が人生を費やす冷笑主義と罪の醜悪な混合の背後にある理由についてあなたが考えるのであれば、それは以下のようなものである。冷笑主義は利他主義の道徳を実践も受け入れもせず、罪は利他主義の道徳を拒否しないからだ。