詩人谷川俊太郎の死、自分も詩人になりたかった
2024年にもたくさんの著名人が天国に旅立った。あるサイトで調べてみた中で自分に何かを残した方々は篠山紀信さん、ベッケンバウワーさん、小澤征爾さん、北の富士さん、西田敏行さん、火野正平さんなど。それぞれに思い出はあるが、僕にとって深く心に何かを残した人は詩人の谷川俊太郎さんだ。
谷川俊太郎との出会い
記憶は定かではない。高校時代の国語の教科書か参考書か、あるいは試験問題か。僕は母親の影響で詩を読むのが好きだった。昭和の時代の高校生だった僕は中原中也の「汚れちまった悲しみに」を暗記するほど読んでいた。
そんな時に鮮烈な印象を与えてくれたのが谷川俊太郎の詩だ。
安積高校は郡山市(福島県)の駅からかなり離れたところにある。下校時はバスに乗って駅まで行って、汽車通(当時はそう呼んでいた)の僕たちは汽車、実際には電気機関車が牽引、の時間調整に東北書店で時間を潰していた。そこで見つけたのが谷川俊太郎の「詩集」だ。分厚い。目次を見ると5−6の詩集がまとまっている。1965年出版で1976年に9刷発行となっているので高校2年生の時に買ったのだと思う。
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二十億光年の孤独
多分何かに載っていたのはこの「二十億光年の孤独」という詩集の一つだったと思う。
まず詩集の表題がいい。
高校時代はバリバリの理系で、2年生の時は天文学者になろうと夢見ていた。宇宙が好きだったから。特に数学と物理が好きで、偏った勉強をしていたと思う。田舎で塾もなく、深夜まで静かに部屋で勉強をしていた。そんな時に、二十億光年!孤独!と飛び込んで来たわけだ。
<二十億光年の孤独 谷川俊太郎>
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした
数学の問題に頭を使っていると時々別なことを考えたくなる。そんな時にこの詩集をランダムに開けて詩を読んだ。
詩を書き始めた
そして自然と自分も詩を書き始めた。実は中学2年生の時から日記をつけていたのだけど、ほぼ毎日。大体ノート1ページ。
書いてあることは友達とどうしたとか、好きな女の子のこととか取り止めがない(先日納戸から出して読んでみたら赤面した)。
そして最後に数行の詩を書くことを自分に律したりした。もちろん試験前などはスキップしていたけど。
目指すは詩人でありギタリストである天文学者だ。
詩集のこのページに栞が挟んであった。
谷川俊太郎「六十二のソネット 24 夢」
ひとときすべてを明るい嘘のように
私は夢の中で目ざめていた
私は何の証しももたなかった
幸せの思い出の他に
ひとの不在の中にいて
今日 私はすべてを余りに信じすぎる
そうしてふとひそかな不安が私を責める
不幸さえも自らに許した時に
樹の形 海の形 そして陽…….
風景の中のひとを私は想う
そのままに心のようなその姿を
私はかつて目ざめすぎた
今日私は健やかに眠るだろう
夢の重さを証しするために
密かに詩集を作った
かなりの数の詩を書いたと思う。
自分は大学受験に失敗して福島県から東京に出ることとなった。予備校に通うためだ。
当たり前だけど高校3年生の時に天文学部は諦めた。偏差値が高すぎてとてもとても望めないから。今でもテレビで天文学者の話を聞いていると、自分には無理だったと思う。深い洞察と数学の知識と諦めない心と世界の学者とのネットワーク。天文学者は本当にすごい!
そんなことで書き溜めた詩を選んでノートに万年筆で書き写して詩集にした。当時のガールフレンドに渡して東京に出た。二つ年下の彼女はまだ高校生だったけど。
結局東京での浪人生活も本来の勉強一筋にはならず、親の仕送りをもらいながら半分勉強、半分東京を楽しむ「自堕落」な生活をしていた。でもなんとか大学には入学が叶った。しかしその後失恋してしまった。大学受験が終わるまで僕を刺激しないようにしてくれていたのだと思う。今思えば心遣いに感謝すべきだ。
無限鏡
そして自分でもう一冊、先の詩集に書き足して手書きの詩集を改めて作った。題名は「無限鏡」。手痛い失恋を詩に読んだ。
内容は…たとえば45光年(20億光年から比べるとかなり近い)先の星の超高度な生命体が、超高性能な望遠鏡で地球を観察したら45年前の20歳の自分が見えるわけだ。自分たちの姿は永遠に光に乗って宇宙を旅している、そんな内容だ。(詩は恥ずかしくて載せられません)
ここを境に詩を読んだり書いたりすることは一切しなくなった。谷川俊太郎の詩集も開けなくなった。時折、本屋で谷川俊太郎さんの幼児向けの絵本を立ち読みしたりしていた。モーツアルトの詩を読んだCDを買っても見たけど、かなり遠ざかってしまった。でも今年、その死を知って45年前の自分を思い出した。
天文学者も詩人も消えてなくなったけど、ギターだけは続けています。
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