どうしようもない感情の置き場をそっと作ってくれた
そして、これからも
久しぶりに聴いても、やっぱり細胞の中に眠っていた映像が浮かび上がってくるから、音楽はすごい。ものすごく個人的なことではあるが、この頃は人生の中でも結構追い詰められていたというか、双肩の重みにはちきれそうだったからこそ、感覚が普通じゃなかったし、音楽に救いを求めていた割合がえげつなかった。リアルタイムでエンタメ情報を追いかけていたのは、本当に当時GLAYくらいしかなかったので、CDを買って、封を開けるその動作が本当に心を少しだけ解放できる瞬間で。だからこそ、映像は浮かぶし、当時の息遣いのようなものをリアルに思い出せるけれど、息苦しくなってくる。
息苦しい感じの中にある、この楽曲の温かみというか、ふわっとした空気感に当時は本当に救われたし、だからこそ、こんなにもまだリアルなのだ。
この楽曲のつらいところは、そして、これから「も」というタイトル。「も」なのだ。そして、これから「は」ではない。当時の自分は、この状況からできる限り遠いところに行きたいと願っている状況だからこそ、まだ継続性のあるこの状況には耐えたくないわけで。もちろん、おわってほしくないという感情がゼロではないけれど、何かを進展させて、別の景色が見たいと願っている状態であるから、できれば、これから「は」、好転した状態にいたいわけ。でも、変わってほしくないことまでも変わってしまう恐れがあるため、心の状態があまりにも不安定で、どう足掻いても苦しい状態。結論を知っている自分がその場にいるならば、物事は良い方向に進むから、絶対に焦るな、早まるなと言えるが、当時はそんなにも冷静にはなれない。
だからこそ、思い出すのは苦しくて、もがいている心理状態で聴き続けたという事実。それでも、やっぱり救いを求めて聴いているから、この楽曲が最後には、心のザラザラした部分をそっと少しずつ剥がしてくれていた。なんか不思議な空間に連れて行ってくれるかのような間奏とか、Aメロでベースがやけに自分の存在感を出してくる感じとか、なんかロックバンドなのに、なんでそんな不器用なんだろう、もっと器用にアプローチすればといいのにと思ってしまうような、少しだけ抜けたように聴こえるところが、なんか心の奥に引っかかっているものにアプローチをして、心を揺さぶる。共感じみた感情を抱いてしまうからこそ余計に、もどかしくて、どうにもできなくて、息苦しくなってしまう。でも、当時の自分でさえもなんだか共感できてしまうようなところが、妙に心の隙間にぴったりはまる感覚で、何度もリピードボタンを押していた。
この頃のカップリングは、結構こういうジャンル?というか、こういう感情に張り付いてくれる楽曲が多くて、一層GLAYの人間臭さを感じるようになったように記憶している。こういう一面がなかったら、自分にとっては高尚すぎると引いてしまっていたかもしれない。
どこまでもファン思いで、どこまでも等身大で、ドリーマーなのにリアリストであるそのバランスというか、妙というか。
だからGLAYに没頭していく理由の大きなひとつなのだ。