ずっと「聴きたい」といい続けたことが現実になった日のこと

ゆるぎない者達

相方が、ずっとずっとライブで聴きたいと長年に渡り言い続けていて、2022年のファンクラブツアーで聴けた時、心の底からGLAYというバンドの懐の深さを感じたというか。ライブ後のアンケートに毎回毎回書いていて、それが本当にようやく聴けた時の嬉しさとか、感動ったらない。何百曲もある中から毎回30曲くらい(2daysでテレコになる楽曲も含めて)をピックアップして、その順番を考えて演出考えて・・・という流れの中で、その30曲に何を選ぶのかによって、自身の練習とかリハーサルとかも変わってくるだろうから、しばらくやっていなくて手に馴染まないような楽曲はやりたくだろうなって正直思ってしまったりしないのかななんて単純に思うわけで。
今回のツアーのテーマなんて、まさにセットリスト何にする問題がキーとなるツアーにおいて、選曲においては、そうそう気を揉んだのではないかと思うが、それでもあえてアンケートをとってくれているということは、ファンが聴きたいという声をちゃんと拾ってくれているということ。
実際に、相方も「ずっと書き続けてよかった」とこの時に言っていた。

自身もライブで聴くのは、約20年振りだった。2003年の初めての這い込みツアーで演奏されたときは、楽曲の冒頭に小泉今日子さんのナレーション?朗読?が入っていて、それはそれは印象的な演出だったが、どことなくその印象にしばらく引っ張られていたようなところが正直あったが、やっぱりそういう演出が仮になかったとしても、心の奥に染み入っていく楽曲で、ましてや今のTERUが歌うからこそ、楽曲の世界観の表現に留まらず、今まで見えてこなかった景色さえも見せてくれるようなそんな豊かさが加わっていたし、より奥行きのようなものを感じた。歌わされているのではなく、TERUに歌ってもらうために生まれてきたような楽曲。地声とファルセットと、TERUの色気が一番出ると感じるその間の声の全てに透明感があり、この楽曲に余計な色をつけないとところに、奥ゆかしさも感じ、その瞬間だけ、会場内の暑さが一気に吹き飛んだようにさえ感じた。

そのあとのホールでオーケストラとともに演奏された「ゆるぎない者達」もこれまた違うというか、楽曲の持つ本当に厳かというか、高尚な感じが一層表現されているように感じ、なんだかツーっと泣いてしまったような記憶がある。オーケストラとGLAYの組み合わせって、過去のライブでも何度かあるが、非常に相性が良いと思っていて。繊細さの中に感じる骨太なオーケストラはGLAYとの共通項があるように感じているからかな。ゆるぎない者達の世界観の正解は、おそらくホールで聴いたあの時のものだったかななんて思ったりもする。

特にAメロで感じるが、TERU歌声の後ろで鉄壁のJIROのベースが、また良い味を出しているということ。
こういう重要役割で、ステージで弾くとなるった際には、少なからずナーバスになるようにな楽曲は、むしろJIRO氏は自らぶっこんできたりもするし、それでセトリハレーションが起こらないところもすごい。

GLAYは「ゆるぎない者達」を体現している、ずっと背中を追いかけていきたい人。


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