こういうタイプの楽曲を演らせたら、右に出るバンドはおるまい
氷の翼
ちょっとだけ演歌調というか、歌謡曲っぽいテイストの楽曲は、GLAYのストライクゾーン。TERUがゾーンに入った時の歌は、声は、私なんぞが想像するTERUのピークをいとも簡単に超越してくる。楽曲はハードではないけれど、声で表現されるのは、圧倒的な力強さ。TERUの声を下から支える確かなベースとドラム。TERUとともに流れるように音階を奏でる鍵盤、歪ながらも、軋みながらもTERUとぶつかり合うことのないギター。全ての要素がTERUの声を引き上げ、引き立てることで作り出すうねりが、会場中を大きく巻き込んで行く。心臓を掴まれて息苦しいのにも関わらず、その息苦しさに心が暴れんばかりに踊っているような感覚。体に出る症状と感情がまるで一致しないにもか関わらず、それでいて心地よい。
このタイプの楽曲は、なにも今に始まったことではなく、時にスッと顔を出しては、「このタイプの楽曲はGLAY以外のバンドには、この空気感は作れないよな」と改めて感じさせてくれる。冬の間に真っ白に染まる景色の中で高校時代まで過ごした時間が、楽曲の世界観を作り出すのか。育った環境が同じであることが、ここまで楽曲の中で一体感を生むのかと思うと、昔からの共通認識や共通言語がいかにその関係性を強くするのかを気付かされる。
「氷の翼」は、歌い出しが本当に高い。あまりにも高いので、TERUがオクターブ間違えたのかと本気で心配してしまうが、この楽曲のハイライト的なポイントは、冒頭にスッと顔を出す。その声が、とにかくたまらない。
TERUの色気や妖艶さを感じる楽曲は多々存在するが、それとは一線を画す声。ファルセットと地声の間のような声をなんて表現するのが正解なのか。繊細ながらも力強い。か細さの中に太さがある。高音を歌っているにも関わらず、低音のような腹の底に響くような安定感がある。冬の厳しさの中に差す一筋の太陽光のようなTERUの歌が、よりその世界観に広がりを見せてくれる。
この楽曲の音作りはどうしたのだろうか。どういう言葉を交わしながら、あの音の一つずつを紡いでいったのか。こういう楽曲の時に、メンバーにギターが2名いる意味というか、理由を感じずにはいられない。HISASHIの流れるようなフレーズと目立たずともメロディーの横にそっと寄り添うTAKUROのギター。それぞれが役割を持って、役割に徹する。職人芸というか、もう匠の域。TERUの声をここまで活かせる、そしてTERUが進化した時の余地を残しておける楽曲の作り方ってなによ?どれほど有能なミュージシャンでもアレンジャーでもプロデューサーでもできないような難題を、TERUが相手だとスッとできてしまうTAKUROの懐の広さに改めて感服させられるというか、その真実の前には、もうひれ伏すしかないのです。
https://www.youtube.com/watch?v=uBDHBxSLtBU