日曜の夜が憂鬱でなくなる方法を知れたなら
Good Bye Bye Sunday
学生の頃、日曜日の深い時間にGLAYのラジオ番組があって、それが終わると日曜が終わっていくという感覚を味わっていた頃を思い出す。日曜の終わりの切なさは、この楽曲に癒してもらっていたな。
JIROの楽曲は、ポップな楽曲も多いし、ピュアロックが心地良いし、オルタナっぽさが光ったりするが、このメジャー感を残しながらの切なさが真骨頂のように感じる。明るく振る舞っている裏にある切なさ、楽しそうな表情に隠された寂しさのようなものを曲調が絶妙に表現してくれていて、あと一押しされたら、涙が止まらなくなりそうという寸前で、なんとか耐える力を与えてくれる感覚。たいそうな演説で大衆の心を動かすのではなく、そっと隣に座って、耳を傾けてくれる感じ。
JIROの書く詞は、ふんわりと温かい。難しいことばを羅列するのではなく、日常に溢れた言葉の一つひとつを拾って丁寧に並べている画がふっと浮かんでくる。でもそこはかとなく感じる切なさや寂しさが、楽曲に奥深さを与える。日曜の終わりの切なさを認めながらも、「明日世界が終わって大丈夫」とある意味で開き直り、そんな寂しい日曜日にさよならをし、カメラを持って、ピクニック気分ででかけようと謳うその寛容さに、憧れと少しばかりの妬み心を抱く。
アコギとタンバリンのような音の優しさが心にしみる。ちょっと前に決壊した心に、スッと衝立を立ててくれたような気持ちになった。勢いよく流れ出そうになる負の要素しかないどす黒い感情や、誰かを傷つけること以外には何も意味をもたらさないような刺々しい言葉は、ちゃんと堰き止めてもらえる。そして、堰き止められて行き場をなくしたネガティブなものたちは、ちゃんと蒸発させるべく、ゆっくりゆっくりと温められて、純度が増していく。
子供の頃に歩いた土手を思い出す。友人の家の裏側にあった土手。どこまでも続いているように感じられて、風が吹くとまったく自転車が進まなくなる。少し背伸びをしたくて買ったカメラを斜めがけにして、良い景色を見つけたらシャッターを切るために、自転車を止める。土手はどこまでも続いていて、子供の頃には行けなかったところまで、自分の足が悲鳴をあげるまで、漕ぎ続けて見た先には、きっと自分の知らない世界があって、そういう世界もあることが力になって、勇気になって。
そんな日曜日を過ごせたら、日曜日の夜に未練がましく悶々とすることもなくなるだろうか。