RUNした先に、疾走した先に見えるミライへ
疾走れ!ミライ
2009年にリリースされた「RUN」から5年。GLAYの20周年のタイミングで世に放たれたのが「疾走れ!ミライ」だ。タイトルからして兄弟的楽曲として位置付けてよいだろう。「RUN」からの5年で、TERU楽曲はこれまでとは異なるアプローチをしてきて、「RUN」の完結編とも言える「疾走れ!ミライ」がリリースされることになった。初めて聴いたのは、パッケージ音源ではなく、ライブ。それも2014年のEXPOの場で、なんの前触れもなく、慣れ親しんだ楽曲をやるかの様に、ギターのイントロが演奏されると
胸がざわめく朝は そっと窓を開けて
とTERUが歌い始める。でも、不思議なもので、初めて聴く楽曲なのに、前から知っているような懐かしさのようなものも感じた。ベースに「RUN」という楽曲があったからだろうか。
この楽曲を聴き終わった時の状態から先に言うと、涙涙の状態。スクリーンに映し出させる歌詞を追いながら楽曲に心と体を委ねていたら、気づかぬううちに涙が出ていた。どこかに強く感動したということではない。歌詞の一部に強烈に共感したわけでもない。ただただ、その楽曲が東北の地に鳴り響いていることの尊さに、音楽が持つ力の偉大さが、涙腺を緩ませたのだろう。
リリースされた後に、改めて歌詞を追いかけながら聴くと、涙が止まらなかった理由は、いくつも思い当たるのだが、初めて聴いた時に、理由もわからずにこれほど涙が出るのは、無意識のうちに、琴線に触れるものがあったのだろう。
「RUN」にも言えるが、Dメロで楽曲のテイストをガラッと変化させるところが、ラストサビを一層引き立たせる役割をに担っていると思う。Dメロは、本来そういう役割をするものだと思うが、楽曲全体の逆をつくようなアプローチから大サビに向かっていく、そのプロセスは、野球の9回逆転ホームランのような歓喜に似ている。
そのDメロで、ベースのダダッと力を込めて弾くところ。ここは、音源ではえそこまで目立つものではないけれど、ライブでJIROの動きを見ていると、弦に全ての感情をぶつけるように、体全体の思いをベースに乗せ、一音一音に全身の力を込めてかき鳴らしているのが見て取れる。ここは、Dメロでの展開の力強さを表現するには、絶対に外せない音。フレーズでもなく、ダダッというシンプルな音だけれど、楽曲への気持ちをこの音で確かめているようにも思える、貴重な音。大サビにつながるギターの短いフレーズもしかり。技巧が映えるフレーズでなくとも、二つの音を鳴らしているだけに聴こえるものだとしても、楽曲の中ではそれぞれの役割があって、それがなければ完全とは言えない音の存在の大きさを理解するのに、これほど適した楽曲はそうないのではないか。
今の自分は、楽曲のもつ眩しさに目をそらしてしまうかもしれないけれど、この楽曲が持つ力に、今後もきっと何度も救われるのだろう。