毎日読みたい365日の広告コピー。読みました。
言葉はただの言葉だってもう、分かっている。
だけど、私は言葉が好きだ。
たぶん、私の言葉で誰かが傷ついてしまったことあったと思うし、誰かの言葉で悲しい気持ちになったこともあった。
けれど、ずっと残る言葉がある。
今でも時々思い出して、私を温めてくれるそんな言葉がある。
だから、もしかしたら訪れてしまういつの日か。
大切な人が弱音を吐いた時、気の利いた一言でもかけられるように、私は言葉を探し続けていたいと思う。
この本も、そんな日常の中で手に取りました。
「毎日読みたい365日の広告コピー」を最初にパラパラとめくった時、月毎に色が変わっているところや、その広告に合わせたフォントになっているところから、読む前からステキな言葉に出逢えそうな予感がしました。
何よりグッときたのは、帯に”「世界に1つのカバー」にして贈ることができます。”の一文でした。
言葉は誰かに伝えて初めて意味を持つものだと私は思っています。
だからこの、”カバーに描かれた日付に丸を付けて誰かに言葉を贈ること”を推奨する一文は、読者とその読者の大切な誰かを言葉で繋ぐようなきっかけ作りをしようとする、作者さんの優しさ、言葉への愛情を感じ、心が温かくなりました。
じゃあ、私は誰にどんな言葉を贈りたいのだろう。
読み終えた時。
とてもやさしく笑う、母の顔が浮かびました。
それは、東京スマートドライバーの「実家のカレンダーは、わたしが帰る日に大きな赤まるが付いています。」というポスターの言葉がすごく印象的だったからです。
同じように、私の実家のカレンダーにも丸が付いています。
でも、赤ではなくて母の好きなオレンジ色で。
だけど私の実家のカレンダーには、もう半年以上その丸は付いていません。
私は今年から社会人になりました。
母は昔から「〇〇しなさい」というような助言や、「〇〇して欲しい」というようなお願いを積極的に伝えるようなタイプではなく、私がしたいことを全力で応援してくれる母親でした。そんな環境で育った私は、わがままでやりたいと思ったことがあれば周りを巻き込んで行動に移すような人間に育ちました。
その為、初めての社会生活で慣れないことが続き、自分のことに精一杯で連絡の一つも、ろくに取り合っていませんでした。
そのことに悟りもせずに、気が付けば半年以上もの月日が経っていました。
私はこの本を読み終えた後、すぐに母に電話をかけました。
とても嬉しそうに私の名前を呼ぶ母に、
「寂しい想いをさせてごめんね」と声をかけていました。
「寂しかった」と母は小声で少し照れながら笑っていました。
言葉はただの言葉だと思う。
でも、その言葉が小さなきっかけとなって沢山の笑顔を生んでいるのかもしれない。
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