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きゅうり君のモテキ3回目は終了

 人生にはモテキが3回あると言われている。本当かどうかはわからないけど、人生のモテキは29歳前に終了してしまったような気がする。
きゅうり君のモテキはどんなものだったのか紹介したい。

5歳から8歳のきゅうり君

 きゅうり君は、5歳から8歳ぐらいの時とてもかわいかった。幼稚園の時は共働きの両親に育てられて、少しぽっちゃりしていた。でも、5歳ぐらいから標準体型になり始めた。お目目はパッチリしていて、赤ちゃんの時は女の子に間違えられるほどであった。それでも、5歳から8歳までのきゅうり君は写真で見てもかわいいと、自分も箱パパも思っているほどであった。
 少しのモテ話をさせていただくと、スーパーのお手洗い前でストップママの事を待っていた。アイスを食べながら待っていたのである。おそらく18歳ぐらいの女の子たち、当時のきゅうり君にはかなり大人な女性に見えた。
 女の子たちから、「アイスいいなー」「かわいいー」「一口ちょうだい」などからかわれて、少し恥ずかしいと赤面してしまったのである。それが更にかわいいと言って貰えていた。トイレから戻ったストップママは、「かわいい子ですね」と言われ満更でもなさそうであった。

無駄にモテた大学生時代(女子から)

 大学生時代アプリや掲示板、そして4年次には婚活パーティーに参加してみる事を挑戦していた。僕はあくまでもゲイにモテることを目標としていたのだが、同じ学科の女の子から、モーションをかけられたり、とまとさんにも告白をされたことがある。きゅうり君は良く女の子と話していたので、失恋話や就職活動に伴う教育実習の出来事を聞いていたりしていたらなぜかモテてしまった。
 また、女性教授からは飲み会の席などで、「きゅうり君は彼女いるの」「僕は背が低いので」「でも顔がかわいいじゃない、パーツモデルとかできそうよね」とお酒の席で話してもらえるくらいだったので、あっ僕は年上女性に人気なんだと気付き、マダム向け女性アパレル会社の店長候補総合職に内定を貰い、半年間務めるのである(ノルマや人間関係に負けたのだ(笑))

25歳障害者施設で働いていた時

 三度目のモテキ、それは24歳から勤めた障害者施設である。主に知的障害をお持ちの皆様が多く利用している施設。新人職員は、かわいい新人職員としてちやほやしてもらっていた。同い年の男性利用者には「きゅうりちゃんー」とあだ名を付けて呼んでくれる方や、年齢的には40代女性だが心が少女の方には「私のお母さんと結婚すると良いわよ」と言って貰えていた。 
 今まで他の職員は苦手とするお母さまからも個別支援計画を作成するための面談で、好評を頂いたり、職場の女性職員から「きゅうり君流石ね」と言ってもらえるぐらいであった。
 きゅうり君はここで少し悲しくも悟った。人生に3回来ると言われるモテキがすべて終了してしまったんもだ。

モテキはもう来なくていいから、1人のスパダリ募集中

 モテキは人生3回まで、だとするならきゅうり君のモテキは終了したことになる。しかし、スパダリ募集のきゅうり君はあくまでも1人の殿方に愛してもらえれば良いので、モテキが終わってしまってしまうのは、気にしないでいいはずなのだが、心のお守りが無くなってしまう不安が大きいのだなと感じた。モテキという心のお守りをもう既に使い果たしてしまったと思うと寂しい限りである。

noteでは僕「きゅうり君」の17歳からの27歳までの恋愛と、
27歳から29歳までのリアルな恋愛は諦めて腐男子として生きている等身大の自分を日記を公開しようと思っております

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きゅうり
ゲイ・お見合い・HSP・ダブルワークなど社会的に見た時にマイノリティーな自分ですが、自分の日記を公開するイメージでnoteを書いております。 寂しい事や不安な事があっても、noteで誰かの心が笑ってくれると嬉しいです(*´ω`*)