どこへ帰るの「きゅうり君の感情」たちよ♪
「どこへ帰るの海鳥たちよ」これを聞いてすぐに分かった方、きゅうり君と同じ若年寄もしくは、昭和生まれですね。平成生まれだけど漂う昭和感というキャッチコピーを付けられるきゅうり君と同類です(笑)
どこへ帰るの「きゅうり君の感情」たちよ
16歳の頃だっただろうか。経営者である箱パパからは、「長男は家業を継いで結婚をして、後継ぎが作るのが当たり前。そして、仕事では稼いで、家族が元気に幸せに暮らすことで1人前」と伝えられてきた。正直やっと小学校中学校での不登校も落ち着き、高校生を迎えるきゅうり君には、箱パパの笑顔と言葉は黒魔術であった。
箱パパが世間体とかで言っていたなら、まだ右から左に流せたが、自分が過去に家族と距離があり、ストップママと家庭を築いて幸せだから出る言葉は当時かなり胸の奥の心を握られるような気持ちになった。
そして、27歳ごろきゅうり君が実家に帰った時の事。ストップママは5人兄弟の末っ子として育ち、親戚の子供はもちろんのこと、近所の子供たちもよくかわいがっていた。田舎のきゅうり君の家は仕事で使う車を止めるために、都会の小さな広場ほどの広さのアスファルトと駐車スペースがあった。平日と土曜日は無理だが、日曜日は定休日の為、「○○さん、自転車乗らせて」とかわいい声で幼稚園入りたての子が親御さん遊びに来ていて、迎え入れるストップママの顔を見た時。一瞬自分だけが時が止まった気持ちになった。お子さんとママさんは駐車スペースで自転車を練習。きゅうり君たちは台所でお菓子をつまみながら、声を聞いていた。ストップママは笑顔で「この前○○ちゃんたらね、勝手に庭で練習してたの、そしたらママさんにご挨拶してからじゃないとダメでしょと叱られて、きゅうり君ママなら大丈夫だよって言ったらしいの、私が帰って来た時、ママさんがそのことを教えてくれて、もーちょっとって本当に思っちゃいましたごめんなさい」って話しかけて来てくれて、本当に○○ちゃんもかわいいけどママさんも丁寧に方なのと話していた。本当に丁寧な方である。そしてストップママも決して結婚しろとか孫を見せろとっている訳ではない。その日の事実とその時の感情をㇹなしているだけなのである。
世間と比べたらまだ二十代後半の青二才。同年代男子は仕事に励んで結婚そのものを後回しにしていたり、孫のことも考えていない人も多いだろう。
きゅうり君は、申し訳ない気持ちになった。決して謝罪しなければいけない事をした訳でもない。しかし、比較的恵まれた環境で育ててもらい、自分の
素敵なパートナと結婚と同等な関係を築き、里親制度での子育てを夢見ている”理想”も、両親の近所の子供をかわいがる気持ち、孫を甘やかしたいという”理想”も似ていて、何となく同じ未来を描いているのに叶えられない。そして叶えられないのに伝えられなくてごめんね。
私には戻る胸もない
きゅうり君は小学生の時に、2回大冒険をして激高された事がある。
一つ目は、夏休み中に小学校のプールに行き、帰りに寄り道をした。少しの寄り道なら許されていたのだが、帰宅方向が真逆の友人宅方面に遊びに行き、帰りに日ごろ通らない道にひかれて、住宅地を歩いていた。過保護のお坊ちゃまにしたら、プールの後に2時間の大冒険なのである。真夏の炎天下の中水筒を持っていたので、中身が無くなりそうになった頃に、「あつーい」と言いながら帰宅した。ストップママは「どこに行ってたの、もう少しで警察に電話するところだった」と叱られた。詳細は覚えていないが、電話をして、学校のプールも終わっている、友人も帰宅しているというのは確認してくれていたらしい、もし友人も帰宅していなければ、小学生の男の子なんてと親御さん同士あきれていたかもしれないが、我が子だけ帰ってきていないとなると親としては焦るらしい。本当にありがたい話である。
二つ目はストップママの実家で新年をお祝いしていた時の事。我が家の家計は自営業者が多いのと、ストップママの姉弟も姉妹が多い為、1月1日は嫁ぎ先で新年のお祝いをして、1月2日に実家で新年のお祝いをするという流れであった。小学校3年生のきゅうり君には、お酒を飲んだおじさんたちに絡まれるのは嫌いだ。だからと言って、中学生の8人のいとこの中に混ざるのも飽きてきた。「帰りたい」と駄々をこねていた。そしてきゅうり君は思いつく、「歩いて帰ればいいんだ、自宅のカギは持っていないが、倉庫のカギの場所はわかるから、倉庫でいればいいや」という訳で、歩くと約3時間の道のりを歩くことにした。こうと決めたら猪突猛進のきゅうり君、途中コンビニ前で、40代男性とそのお母様に「迷子?」と聞かれたが、「違います。お家に帰るだけ」と言って自宅方向を指さし、難を逃れた。嘘はついていない。しかし、そこから約2時間歩くわけだから嘘と言えばウソかも(笑)
そのころ、ストップママの実家ではきゅうり君がいないと大騒ぎになっていたらしい。きゅうり君が自宅へ歩いて帰る為の道は3種類ある為、3つの車組と、待機組で探してくれていた。(←きゅうり君の実家では女性たちはお酒を飲まないので運転は出来る。助手席のほろ酔いおじさんがきゅうり君を探す)たまたま、ストップママとストップママの兄が乗っている車がきゅうり君の事を見つけた。ストップママに温かいココアを買ってもらい、自宅ではなくストップママの実家に帰り、しっかりと激高され、最終的には+2時間ほどの宴会が続き、家に帰れたのは3日だった。おじさんたちは「小学校3年生の子が道をしっかりと覚えていたこと」「子供の足であそこまで歩くか普通」「俺も子供の足でここまでは来れないから帰って警察呼ぼうと妹(ストップママ)を説得しようとしてた」「携帯電話を使いこなせた」などと話していた。子供ながら、一瞬でも注目してもらえた嬉しいと感じてしまった事と、話題を提供して酒の肴を作ってしまった事を後悔したのを覚えている(我ながら可愛くない思考である)
余談だが、きゅうり君の頑固さ、よく言えば一途さはストップママ譲りだと思う。「伯父がストップママに実家に戻って警察にと言った時に、警察に連絡するのは良いが、でもまだ探す。あいつは決めたら頑固な子だから。もっと遠くにいてもおかしくない。そもそも、知らない人についていく子ではない」と言ったらしい。ケガもなく元気に見つかった後だから言えるがお前も頑固だなと伯父はストップママに思ったらしい。
今となっては、当時はしっかりと”戻る胸”が複数あった。両親、姉、親戚。しかし年を重ねるごとに、みんな年を重ね、親戚の中には旅立つ方も増えた。一番の衝撃は、父の人工股関節手術の時、事前に一人暮らしで生計を共にしていない親族のサインが必要と言うことで、姉ではなくきゅうり君がサインしたとき。きゅうり君が年齢を重ねるという事は、同じぐらいみんな年を重ねていき、”戻る胸”を提供される側だったが、”戻る胸”提供する側に20代後半は移行する期間なのだと感じた。
もしもーしんだら、あなた、あなた泣いてくれますか?
絶賛スパダリ募集中のきゅうり君、三十路マイナス1歳ファザコン気質。年上の男性がタイプなので、戻る胸を探すことはできるかもしれないが、誰が看取ってくれるのだろうと、26歳で納棺体験をしている時に思った。理想の彼氏?20歳離れていたら僕が看取る側だよね。姉のよしえさん?5歳上だよね。甥っ子姪っ子?よしえさん男っ気無いよね?34歳の今は結婚相談所に入会しているが当時31歳のよしえさん、「40歳までに結婚して、50歳までに子供出来たらいいな」と本気で言って両親に不妊治療をなめるなと叱られていた。
現在29歳のきゅうり君、24歳の方と今度お見合いをすることになったが、果たしてその方はどんな方なのか、一生を添い遂げられる方なのか?もしもーしんだら、あなた「泣いてくれますか?」と本気で聞きたいと重たいと思いながら、お見合いがうまくいき真剣交際に進んだら本気で聞きたい(笑)
人生の台本は常に更新されていく
今まで、きゅうり君老人ケア施設で天国へ旅立ち亡骸となり、老人ケア施設は病院ではないので、警察が死体に異常がないか確認して、行政の方が火葬場に運んでくれると思っていた。両親と理想の彼氏(18歳ぐらい年上)の葬式の喪主を務める覚悟はできていて、よくとまとさんと、田舎のお墓どうする?、きゅうり君は「僕は長男」、とまとさんは「結婚しているのあたしだけ、弟たちは社会人だけど結婚してないし、なんか現実みてない」と当時の自分たちの想定される、人生の台本のする合わせを良くしていた。なかなか「遺産は残さなくていいから、お葬式代だけは子供たちの名前で残すか、現金にしておいて」という20代息子は少ない気がする(笑)
しかし、今よしえさんも「40歳までには子供を」と考えお見合いを、きゅうり君は年下とお見合いをする予定である。
人生は台本通りにはいかない。(笑)
きゅうり君の感情は結局、きゅうり君のもとに帰ってくるだけであった
noteでは僕「きゅうり君」の17歳からの27歳までの恋愛と、
27歳から29歳までのリアルな恋愛は諦めて腐男子として生きている等身大の自分を日記を公開しようと思っております