『こういうのがいい』を読んで、名前が無い事象を大切に扱いたくなった
漫画『こういうのがいい』を読んで考え込んだことを書こうと思います。
あらすじとしては互いに合わなくなった彼氏&彼女と別れた男女がオンラインゲームのオフ会で意気投合しその夜ホテルへ行き、その後セックスもするが、オンラインゲームを一緒にプレイしたり、服を買いに行ったり、身体だけではない関係を楽しむみたいな話です。
これを読みながら思ったのは名前が無い事象を作り上げていく難しさでした。(作中では一応フリーダムフレンドとされています。)
あらすじを読むとこれは一般的は『セフレ』になるでしょう。
この本のAmazonレビューにもそう捉える方が多く、キャラクターたちの関係性に賛否両論が巻き起こっていました。
こうなるのはそれに近い関係性に当てはめてしまうからではないでしょうか?
実生活でも、喋ったりしないから、ご飯を食べに行ったりしないからといって、関係性を拒絶する傾向があると思います。
それは『友達』という関係性と意味に沿っていないからです。
こういうのはすごく勿体無いことなんだなあと思いました。
名前が無い事象を無いものとしてしまっているんだと感じました。
ただそういうことを作り上げていく過程はすごく不安なことなのだとも思います。
なぜならこの漫画が賛否両論であるように、周りからの理解が得難いからです。
ではどうするのかという解決策は分からないのですが、こういった名前が無い事象を育てることが出来るようになると、もっと世界を面白く見ることが可能ではないかと思うので、今回のような事象に出くわしたときには、既存の言葉で解釈するのを我慢して、不安定な状態のものを観察できるようになりたいなあと思いました。