つくりがダメなら素の気持ち
見た目がダメな自分は、中学の頃、姓が一緒の同級生と勘違いされて、面通しされたあげく振られた過去がある。
それ以来自分の見目は全否定するひねくれた性格になった。
人間は、記号や図形などを見ただけで、人の顔に見えてしまうほど、人の顔の違いに敏感です。
ほかの生物から見れば、みんな同じように見えてしまう人間の顔の違いももちゃんと見分けられる。
だから、美人だブスだと顔で判断されることが多いし、それによる影響も少なくはない。
「顔のつくりは大事だね」という考えが多くなってきたようにも感じます。
果たしてそれがすべてか?
美人は3日で飽きる、ブスは3日で慣れると昔から言われてきた。
確かに整った顔は目を引きますが、芸能界ですら美人や美男がすべて成功しているわけではないし、顔がいいからと友達が多いわけでもない。
では、人と接するときはどこを見るのか
私も多分に漏れず顔。
しかし、つくりではなく、表情。
言うまでもなく、人と接しているときの顔は静止画ではない。
刻々と変化している。
どんなに取り繕っても、今の感情が顔に出てしまうもの。
相手の正確な感情なんて読み取れるものではないが、ふとしたときに見せる飾らない素の顔を大切に考えている。
ならば自分はというと
つくりがダメな以上、素の表情で勝負
ネガティブな感情は極力捨て「精力善用」「自他共栄」
重版出来の影響が強い気がするが。。。