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京大院試を終えて

 ご無沙汰してます。F.Kです。
今、飛行機で札幌に戻っている最中です。飛行機内は寝れないし勉強できないしですることないので、記憶の残っているうちに自分の院試体験記でも書こうと思って。

生の体験を元に何か誰かにとって活かせることがあればいいな、と思い院試の熱がまだ冷めやらない中で何個か、エピソードを。

 時は院試前日に遡る。1人で飛行機で京都にきて、院試前散々本田圭佑ばりのビッグマウス発言をしても、やっぱり不安は大きかった。自分の中で、何か人生において、大きな挑戦をしてみたい。社会人になってからじゃ後悔してもできないような、全力で取り組める大きな挑戦をしたい。そんな思いから始まった僕の外部院試への挑戦。京大院試はその初戦だった。 

(*追記: ここから先無駄に長くなってしまったので、手短にみたい人は4.院試で得た経験だけ見てくれればと)

1.決意
 僕の友人達や周りにはすごいやつがたくさんいた。フットサルで全日本決勝まで行ったり、ソフトボールで国体に出たり、体育会バスケ部で副キャプテンをするやつや、toeicで満点取る英語超人、サッカー部に所属しながら外部院試を受ける奴など、1人1人あげていけばキリがないが、僕なんかとは比べものにならないほど凄いものを持ってるやつばっかりだし、みんな何かに対して熱いものがあった。そんな彼らを僕は尊敬していたし、羨ましかったし、そして自分が惨めにも感じていた。このまま、なんとなく残りの大学生活を過ごして、なんとなく北大院に進んで、なんとなく就職。それでいいのか?僕の大学生活、それで胸張れんのか?後悔ないのか?と。リトルF.Kに問いかけたとき答えはノーだった。
 僕が大学3年の秋、バスケ部の友達の試合を観に行った。僕は衝撃を受けた。必死になって一生懸命プレーする姿、ベンチやスタンドが一体となって応援する姿、彼らはなんて熱いものを持っているんだと感動した。あの瞬間は間違いなく僕の中での人生のターニングポイントの一つと言っても過言ではない。魂が動かされるような熱いものをみた。ありきたりな展開の映画やドラマよりよっぽど感動したし、価値のあるものだった。映像だったら伝わらない何かがあった。痺れた。本当に生で観に行ってよかった。それで、何か自分も本気になって、全力で熱くなれることがしたいと思った。その試合を観てからは自分にとって無駄にダラダラ過ごした日は1日もなかったと言ってもいい。"休む"という意味での"休日"はその日を境に僕の辞書から消え去った。冬のスキーの最後の大会には全力でやるって気になったし、納得いく結果や他大の人との友情、熱い戦いなどなど、お金や普段の日常生活では絶対得られないようなことばかりを得た。そこから、あの体験をもう一度したい、もっと魂を燃やせる戦いがしたい、努力をして何か輝かしい結果を得たい。そんな気持ちになった。だから茨の道ではあるが外部院試をするって決めた。自分に甘えや逃げを許したくなかったから元々予定していた北大院の出願も、直前になって出願しないことを決意した。こうして、自分を追い込んで院試に人生を賭けた。全部落ちたらニートF.Kの誕生だ。そんなこんなで僕の、院試のためだけの生活が4月から始まった。

2.院試直前
 さて、話を院試直前に戻そう。正直、院試2.3日前までは院試が近づいている実感がなかった。だが、京都に到着すると同時に、「え、明日本番ってマズくね?」って不安が急に襲う。北大の院に出願しないという決断をとっていたため、落ちれないというプレッシャーが急にのしかかってきた。でも、そこで僕を救ってくれたのが、数々の友達からの応援メッセージだった。正直、北大の人からみたら言い方を変えれば僕のことは"裏切り者"なわけだ。「外部院試なんて勝手にやっとけや。」そう思うやつがいても全然不思議ではない。むしろ当然の感覚にすら思える。なのに、20人〜30人近くの人が前日メッセージをくれた。「なんでだよ、どうして応援できるんだよ、みんないい奴すぎるだろ、俺にはもったいねえよ、北大が恋しくなるだろ、ちょ、待てよ、かますしかねえじゃねえかよ」感情ぐちゃぐちゃで本当に感極まって泣きそうだった。長距離移動でコンタクト乾いて目パサパサしてなかったら涙出ててもおかしくなかった。おいおゐ、まだ前日だぞ。始まってないんだぞ。そう言い聞かせて前日は10時に寝た、がしかし、2時間くらい全く寝つけず、寝れたのは12時くらいだった。これから受験する人に言っておくと、最悪睡眠薬を使ってでも受験前日は早く寝た方がいい、前日ブーストとか諦めろ。

3.院試当日
京大院試は2日間あり、初日午前が数学、午後が専門で、2日目が小論文、面接である。初日、会場には1時間前に着いた。すでに京大生の大群がいる。見慣れない奴が来たと思われたのか京大生からの視線をめちゃくちゃ感じた。「京大を侮るなよ。」と、京大は東大の前哨戦と思っていた自分の心を見透かされたような無言の圧を感じた。そうだ、ここは完全アウェー。
開始5分前のあの受験でしか味わえない静寂。全ての環境音が消え、時計の秒針の音がカチカチとなる。するともう1つの音が一定のリズムを刻みながら聞こえたてきた。それは僕の鼓動だった。ああ、体は正直だな。「やれんの?やれるに決まってる。ビビってんの?なわけねーだろ。落ちるかもよ?うるせーよ。」自分の中で悪魔のささやきに打ち勝つ自分がいた。こういう不安なときやっぱり頼りになるのは今まで努力してきたという事実と自信。だから、どれだけ勉強したらいい?という質問には僕はこう答える。「試験直前、自分が不安を抱えない、不安を払拭できる自信がつくくらいやれ。不安があるということはまだ努力が足りてない証拠だ」と。
 さあ、数学が始まった。いきなり僕は驚く。なんだこれ、こんな問題過去問15年解いて一回もなかったぞ?ページをパラパラめくると、分量、質共に高い。ああ、間違いなく難化してるわ、コレ。でも、僕は自分の努力に絶対的信頼があった。やれることをやるだけだ。すぐ切り替えた。特に北大の授業でやってない数学のベクトル解析と確率統計の分野に対しては1から自学で勉強した。その甲斐があってかベクトル解析の大問は完答することができた。4月のときは外積すらできなかった。努力が実った瞬間だった。こうして数学は終わった。内心まずいかもと思ったがたぶん周りもヤバいだろと思うことにした。笑
 午後は専門科目。北大で受けた授業とは科目が違うので4科目くらい1から勉強した科目があった。(放射線衛生工学、騒音測定学、無機有機化学、生物など) 専門もエグ難化してた。これ時間内に解き終わるの?っていうレベルだった。専門科目は大問4題をとかなければならない。全員必答の大問1と、物理1題、放射線学1題、化学2題、生物2題の計6題のうちの3題を選択科目として選ぶ。僕の当初のプランは物理・化学・化学の3題を解いてゴラッソ決めて終わり。しかし、問題を見た瞬間、化学は排煙突の微分方程式を用いて求める問題や物理は拡散方程式の導出とかあって、これはキツイかもなと思った。プラン1を棄却、プラン2に変更した。ここで僕の用意していた"引き出し"が活きた。高校生物に立ち返って"一から"勉強した生物。放射線専攻の友達に教わりながら"一から"学んだ放射線学を選んだ。残りの1題は環境化学を選び、過去の記憶を、蜘蛛の糸をたどるようにして解いた。正直難易度は過去問より断然難しかった。でもとりあえず空欄は作らなかった。全部とりあえず時間内に解ききった。やるべきことはやった。周りがどんぐらい取れたか分からないが、仮に今タイムスリップをして2日前に戻ったとしても同じ解答をするだろう。やりきった。
 2日目の小論文と面接については話しても面白くねーと思うから割愛する。ただ、2日目に僕は戦友ができたって話だけさせてくれ。そいつはスゲーヤツなんだ。彼の名前はテッセイ。テツ君と呼んでいる。テツ君は同志社大の子で、1から自学で勉強して、院試は京大1本。過去問は京大院試15年分を3周したときた。1月から勉強してて、研究室訪問は4回もしてる。正直、腰を抜かしたよ。とんでもないバケモンがいたぞと。僕より院試に熱い漢がいるじゃねえかと。
「京大院試に俺は人生を賭けてきてる」テツ君はそういった。その眼には、決して内部進学生にはない覚悟が見えた。試験後もいろんな話をした。どんな会話をしても楽しかった。「外部院試でしか味わえないものがあったし、この道を選んでよかった。こういう出会いもあったしな笑。合格したらまた会えるな。でもおまえは東大か、頑張れよ。外部の意地見せろよ。」テツ君はそう言って別れを告げた。こうして僕の京大院試は幕を閉じた。あっという間の2日間だったが、いろんな出会いや経験をした濃い2日間だった。

4.院試で得た経験
僕が大事だと思ったことを何点か記す。

① "引き出し"を増やす
"引き出し"というのは自分の選択肢、受験でいうところの専門科目の対策数を指す。僕は京大院試に向けて選択科目6題中全6題の対策をしてきた。戦術プランは5パターンくらい準備していったし、解き方の順番、各大問にかける時間、難化した場合の対応、あらゆることを考慮にいれて対策した。それが実戦で活きた。北大院は専門0が8題中4題、専門1が16題中4題だ。理想を言えば専門0は8題とも対策しておきたいし、専門1は16題中8題は用意したい。しかし現実的には時間が足りないので、それぞれメイン4題+2〜3題は対策しておくのがよいと思う。+1題は甘い。まあそれでも受かるとは思うが推奨しない。

② "本番"を常に想定して勉強する
これはただダラダラ長時間勉強するのではなく、時間を測ったり、静寂の室内で問題を解いたりと、常に本番の状況を想定した練習を繰り返す。これは間違いなくやるべき。大問ごとに時間を測ったり、通しで時間を測ったり、自分がどれだけのスピードと正確さで問題を解けるかは絶対に把握しておかなければならない。陸上選手が1周ごとのラップタイムを測るのと一緒で、大問1個ごとのラップタイムを測る。
"練習は本番のように。本番は練習のように。"
スキーの僕の先輩が言った言葉だが、今でも心に強く残っている。

③ 受験は"団体戦"
直前になると焦りや不安などがでると思う。そういうときに頼りになるのが仲間の言葉だ。当たり前のことを言っているようだが、僕はこの外部院試で本当の意味で実感した。分からない問題は聞けばいいし、いくらでも周りを頼ればいい。なんなら僕に聞いてくれたっていい。きついときは励ましあえばいい。メンタルだけは保ち続けろ。

④ "目標"は高く、"努力"は強く
 合格することだけを考えると、合格最低点さえ超えれればいいという考えになってしまう。それを一段階引き上げてやる。合格者平均より上で受かる!とか、なんなら首席合格する!くらいの目標でいい。メンタルで負けんな。"努力"を強く?と思ったかもしれない。これは"努力"は量だけではないということを示している。先にも述べたが、自分が試験本番直前に不安が自信に変わるほど強くなれるか?その意味で自分にとって"努力"できたか?ということである。僕は強い"努力"ができたと思っている。量にして京大対策のためにノート12冊、過去問15年2周、直近5年分に至っては3周した。本番前、やってきた事実が自信になり強さとなった。この"努力"が弱いと本番前、"穴"が生まれる。魔物に喰われる。だから自分が納得できる量努力しろということだ。

他にもいろいろあるが割愛する。

院試なんてただの通過儀礼だと思うかもしれない。でも僕やテツ君のように院試に人生を賭ける熱い思いを持っているやつがいるのも事実。院試に関して何か力になれれば、と思う。まだ受かってもないのに偉そうに書いたが、受かったと無理やり思いこむようにしている。そうでもなきゃやってられないからな。

僕の文才がないせいでダラダラと長い文章になってしまった。申し訳ない。
ただ、もし反響や好評、希望などがあれば、東大院試の体験談についても院試が全て終われば記したいと思う。まだ東大院試が控えている。戦いは終わってない。常に先を、上を目指している。
お互いに健闘を祈る。



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