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東大院試を終えて(東大新領域環境システム編)・院試の合否発表

外部院試といえば僕。F.Kです。
今回は、前回の京大院試に引き続き、東京大学新領域創成科学環境システム学専攻(以後東大新領域と表記)の院試について語りたいと思います。


1.北大院試への出願を捨て、東大新領域へ

 僕が東大新領域の対策をし出したのは6月の出願をした後だった。それはもともと東大新領域の入試日の8/20・8/21の2日間は自分が所属している北海道大学の院試があり、当初のプランでは東大新領域ではなく北大の院試を受ける予定だったため対策をしていなかったのだ。迷った挙句、滑り止めの北大院試への出願を捨て、1%でも多く東大に行く確率を上げるため、急遽東大新領域への出願を決意した。僕は京大院、東大新領域(赤門のない方のキャンパス)、東大都市工学(赤門のあるキャンパス)の3つの院に出願していたため、東大新領域にはあまりリソースを割けなかった。過去問は7月が終わるまでにとりあえず5年分を2周したが、解答がなかったこともあり、ただやっただけになって身にはなっていなかった。そもそも問題がムズイし、北大の授業ではやってないことばかりだし、過去問1周目では4割くらいしか自力で解けなかった。でもなんとかなるやろって思って放置して京大対策に注力してしまった。今思えば、京大対策じゃなくてもっと東大院試対策につぎ込んでよかった。そのせいで東大新領域本番、めちゃくちゃ不安なまま迎えることになってしまった。京大院試が終わって、札幌に帰ってきたらもう約10日後に東大新領域の入試が迫っていた。東大新領域は前回記した京大院試とは入試の毛色が違う点がいくつかある。①TOEICの提出は認められておらず、本番当日に英語試験(TOEFL-ITP)があること ②口述試験は事前にパワーポイントを用いてスライドを作成しなければならず、そのスライドを説明しながら質疑応答に答える形であることと口述試験だけで配点が150点もあること ③ 小論文として、ちょっと難しめの英文を読んで1時間内に約1000字で英文を要約および英文に対する自分の意見を必ず具体的な事例をあげながら記すといったものがあること ④ 数学の範囲が高校数学からはじまり線形・統計学・基礎解析学の教科書全てと広いこと ⑤海外からも受験者がいるため倍率がとても高く、外部合格率が約3割と狭き門であること
このように、東大新領域は決して簡単な試験内容ではなかった。正直、京大院試が終わってからの10日間は怒涛だった。TOEFL-ITPの勉強を毎日2時間し、数学はベクトル解析、フーリエ、偏微分方程式や留数定理など学校の授業ではもちろんやっておらず北大院試では決して使わない科目もやり、ひたすら教科書の演習問題や過去問を解きまくった。解答がないためネットやチャットGPTも駆使し、初見の分野やわからない問題と格闘した。大学の図書館には朝から22時まで通い詰め、帰ってからも風呂で英語のリスニングを聴いたり、専門科目の暗記事項を寝る前に詰めたりなどした。今思えば1日12時間以上は勉強してたと思うが、当時は直前に迫っていることもあり、与えられた勉強時間が短すぎて12時間の勉強なんてあっという間に感じた。どのくらい勉強したかなんて気にしていられなかった。あくまで僕は地頭が悪く、勉強の才能がない人間であるからただただ勉強するしかなかっただけで、もっと効率よくうまくやる方法はあっただろうし、追い詰めてやる必要はないと思う。ただ、僕には努力するしかなかった。僕は天才ではなく、凡才だったから。

2.試験当日(8/20、8/21)のエピソード

東大新領域の入試は1日目が、午前TOEFL-ITP、午後が小論文、専門、数学だった。まず、午前のTOEFL-ITPでハプニングが起こる。開始30分前にトイレで全て排出して準備は万端だったはずなのに、席が1番前だったことでガンガン効いてるエアコンの空調が直であたり続け開始直前に腹を壊した。しかし、「トイレに行っていいですか?」と聞いたらTOEFL-ITPは試験が始まっていなくてもマークシート用紙が配られた時点で退出してはいけない決まりだった。そのため開始30分くらい冷房のせいで腹を痛めたままリスニングを解いてた。最悪だ。幸いにも上着を持ってきてたことと、エアコンが弱まったことで腹痛は解消された。いくら夏場だからとはいえ上着は万が一のために必要だという場数の多さからくる経験に助けられた。そんなこんなで2時間以上かかるTOEFL-ITPが終了。手ごたえ的には可もなく不可もなくて体感としては550点前後だと思う(満点は677点)。次に昼休憩を挟み、小論文があった。だが、英語が思ってたより単語の意味がわからないのがいくつかあり、結構パニックになった。自分の都合よく勝手に解釈してとりあえず書きまくった。途中自分は何書いてるんだこれ。となったけど書き直す時間もないし突っ走った。時間内に書き終えたものの手ごたえは最悪だった。小論文が終わった時点で、やべーこれ落ちたわってぶっちゃけ思ってた。だから次の専門・数学が始まる前は「これにかかってる」と感じ、結構緊張した。今思い出してもあの開始直前の数分間は手に汗を握る。しかし、ここで奇跡が起こる。もしかしたらワンチャン出るかもしれないなと思って前日やった留数定理の問題がでた。この単元は大学の授業でやっておらず、直前の直前になって僕がギリギリ間に合わせた科目で、過去問でも10年間のうちたった1年しか出ていなかった科目だった。だから出ないと思ってやらない可能性も全然あった分野だった。直前まで諦めずに足掻いてみるもんだな。しかも専門科目でも2日前にやったベイズの定理の問題が出た。アツイ。こうなったら完全に流れはもらった。専門・数学は手が止まることなくするする解けていき、ほぼ全ての問題を解くことができた。やってきた成果をここぞの大一番で出すことができた。あの感覚は今でも忘れない。
 2日目は口述試験だった。ぶっちゃけ1日目より緊張したかも。でも口述試験は事前のパワポのスライド作りの準備が大変すぎて、本番はほぼそれ見ながらしゃべっただけ。原稿なんて作る暇なかったしアドリブやったからもう準備不足露呈してめちゃくちゃだった。でもまあなんやかんや耐え。あとは結果を待つのみ。

3.合否発表

まず、京大院試の合格発表があった。
正直受かってるんじゃないかという自信がありつつも、見る前は結構ドキドキした。

京大都市環境工学の院試合否結果は………



合格!! 


京大が落ちてたら院試全落ちの線が見えてくるので不安だったせいか、嬉しさよりも先に安堵が来た。あってよかったわ、まじで。って感じ。

さて、安心したのも束の間、次は東大新領域の合否発表が待っている。
東大新領域は自分の中では手ごたえはあったものの、周りは精鋭たちばかり、海外から受けに来てる受験生も4割くらいいる。英語と小論文ではきっと負けているだろうし、口述試験も微妙。おまけに外部合格率は3割と聞いていたから合格発表を見る直前は手が震えていた。
クリックすると合格者は34名。受験番号は123くらいまであったはずなのに… 番号はとびとびで連番なんてほとんどない… 今にも心臓が爆発しそうだ… そうやって画面をゆっくりゆっくりスクロールする。
東大新領域環境システムの院試合否結果は………




合格!!!


自分の番号を見つけた瞬間、「あった!!受かったァァァァ!!!」と発狂してしまった。
と同時に僕は涙が出てきた。涙が止まらなかった。言葉にならない嬉しさが、何にも代え難い嬉しさが、自分の努力で掴みとった嬉しさが、やっと東大生になれるという嬉しさが、涙として現れた。脳裏に今まで勉強した思い出が浮かんできた。不安で眠れない夜や、焦りで集中できない日、問題が解けずに発狂したくなるような日、院試から逃げ出したくなるような日もあった。そんな辛いときを乗り越えて、ただひたすらに努力し続けたからこそ、この東大新領域合格というのはネームバリュー以上に圧倒的価値があった。約半年間、自分がやってきたことは決して無駄じゃなかったと、院試に人生賭けて熱くなって打ち込んでやってきたからだと、何者かにそう肯定されているように感じた。その夜、家族が合格祝いに家で焼肉をしてくれた。スーパーの肉と言えばスーパーの肉だが、何物にも形容し難いほど感動した味だった。肉の味を噛み締めて、また涙が流れた。あの日は僕にとって間違いなく今のところ人生最高の日だ。だが、暫定である。真の人生最高の日は、東大都市工学の合格発表の日になる予定だ。すなわち、僕の院試全戦全勝が決まる日だ。夕食が終わるとすぐに僕は次の"旅"に向けて勉強を始めた。もう、切り替えはできていた。東大新領域に合格したという慢心はなかった。常にチャレンジャーである自覚を持っていた。全力で、日本のトップ勢と戦う。自分に甘えがあれば、簡単にやられる。僕に弱点や隙があることを許されない問題のセットだということは重々承知している。東大都市工学は完全アウェーで、新領域のときのように上手く流れを持ってこれる相手でないことも、思い通りの展開にさせてくれないこともわかっている。それでも最後まで、全力で。戦い続ける。

地元の長野県の松本山雅というJリーグ所属のサッカーチームの横断幕にはこんな言葉がある。

"雷鳥は頂を目指す"

これを書いている今、まだ東大都市工学の合否発表は出ていない。

頂を目指した一匹の雷鳥は、果たしてどんな結末を迎えるのか。

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