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さらば日刊スポーツ!「ありがとう」

森光紀夫先輩のFarewell Message(06年2月24日)   静かに去ります。これまで多方面から頂いた多くの喜び、そして悲しみをすべてひっくるめて大切に南の海の街へ持って帰ります。現役当時は大声でやかましい男でしたので1階受付の声が地下食堂や2階まで聞こえたとよく言われたものです。だから今は静かに去ります。でも…一言、三言。

幼年時代、亡き父とともに伝馬船(当時はまだ交通機関として有効だった)に鍬や鎌などの農機具を積んでギーコギーコと櫓を漕いで離れ小島に出掛け、畑仕事によく出された。教員だった父が一時期、肺を患い休職していたのでリハビリがてら農作業に勤しんでいたのだ。

幼い私はすぐに作業に飽きてしまい、砂浜に下りて行って返す白波を終日眺めて過ごした。特に釣りをしたり、貝を拾ったりする訳でもなく、ただ砂の上に寝そべって心地よい風を受けながらうたたね、腹這いになっていつまでもいつまでも何もしないでズーっと海の声を聞いていた。

「これは理想郷だ」。これから将来、生き馬の目を抜くといわれるどんな過酷な人生の荒海に乗り出して傷ついて来ようが、終の棲家になるのはここだ。必ず帰って来ようとその時から思っていた。どんな半生を過ごそうとこの砂浜が、そして、“風”が迎えてくれるはずだと。

「颯爽と東京人になり行きぬ 吾子の帰省も今日で終わりぬ」。この母の短歌が高知新聞に掲載された時もこの母の元に「必ず帰ってくる、帰るよ」を肝に銘じたものだった。そして、その時がきた。帰れるんだ。これでただの男になって帰れるんだ。あの砂浜に帰ろう、そして、好きな歌の文句と同じように“砂に枯れ木で書くつもり、サヨナラと”。

一期一会、何か不思議な運命・ご縁でご一緒し、ともに業務に励み、友誼を交わした関係各署の皆々様には「おやかましゅうございました」とお詫びすると同時に今はただ感謝・感謝を申し上げるしかありません。

四国、高知の地名が出て来たら、あの「森光サン」を思い出してください。そして、南国土佐に旅する機会があったら、是非お立ち寄りください。新鮮な海の幸・山の幸の珍味・ご馳走を用意させましょう。

さらば、日刊スポーツ! そして、最後も「ありがとう」。

よく見れば なずな 花咲く 垣根かな 芭蕉 この“なずな”になります。

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