月見バーガーを買いに行った話。
毎年この時期に発売される月見バーガーを買って食べるのを楽しみにしている。
これを食べると9月が訪れたこと、秋が来たこと、私の好きな季節が間近であることを実感できるからである。そして単純においしい。
思い立ったが吉日とお昼ごはん用に買いに出かけた。ら、恐ろしいほどの込み具合である。ドライブスルーは車がみっちりと詰まっているし、駐車場も一部の隙もなく整列したさまざまな車たちで車の見本市がひらけるほどの繁盛ぶり。
お腹はすいていたが、なにぶん車をねじこめそうな空間はない。土曜日にうかつにも二度寝をして一番混んでいる時間にきてしまった自分を呪いつつ、しょうがないので混雑が収まるのを待って近くのショッピングモール内をうろうろした。
そうしながら、ふと益体もない考えが頭の中でとりとめもなく流れていく。
この月見バーガーをあるいは普通のマクドナルドを今日の昼食にしようと考えている人々でいっぱいになった光景は、いったいどれほどの経済効果を生んでいるのだろうかと。
残念ながら私は経済学者でもビッグデータの専門家でもないため私の考えのつく限りの想像の翼を広げるしかないのだが、まずは彼らの交通手段。
ひとにぎりの幸運な歩いて行ける範囲にマクドナルドがある、という人々を除いてそこに到達する手段としてありとあらゆる交通機関が使用されるはずである。
電車。バス。タクシーはあまりいなさそうだが。そしてドライブスルーを有効活用するためにはもちろん自家用車。
あの車いっぱいに立ち込めるいい匂いはしばらくの間しみついてなかなか取れることがない。
移動するだけでも相当数が動き、ガソリンも電気も消費される。
次に商品そのものの価値を見てみよう。
月見バーガーセットが660円。まさか誰もが月見バーガーを買いに来ているわけはあるまいが、ここではそれがアルバイト一人の一時間分にも満たないことが重要なのでまあどうでもよい。
家族でなら千円を超える注文も珍しくはないであろうし、逆に飲み物だけを頼む人がいてもおかしくはない。
どちらにせよ薄利多売の商売であることは明白である。
そして、それがファストフードの安くて速い、という売り方にとてもマッチしている。
腹をすかせた人間ほど凶暴な生き物はまずいないし、大抵のいさかいはくうねる住むところに女か男だ。
お腹がすいたときにちょっとよって注文から数分で食べられるのがファストフードの強み。ようは回転率とやらの問題だろう。
ドライブスルーの客は商品を受け取って帰るし、店内の客もそんなに長時間座っていられるほど店内のイスは座り心地がよくない。
なんならしゃべり疲れてのどのかわいた少年少女は追加の飲み物を注文してくれるかもしれないし、子供連れのママさんたちは常連さんだ。
ともあれ1時間当たりバイトと社員の給料、純利益を売り上げるためには徹底した無駄の排除が必要となってくる。時は金なりをとことんまでにシビアに適用し、ガッチガチにマニュアル化し、だれがいつどこでも同じ商品を作り上げることのできる体制を築き上げなければならない。
そのシステムの構築と完成にかかった時間は当然のことながら誰にも図りえないことであろうし、そのうえでなお時代に即して変えていかなければならない。
恐ろしい。たいていの人間ならやってられるか、と辞表でもたたきつけてあきらめてしまうことを実現している。それが実現できたからの大企業というわけなのか。
そうして会社が得た利益が今度は労働者に分配され、彼らは家賃やらなんやらの支払いを済ませてのこった利益(自由に使えるお金)をまた社会に還元していく。
それこそ自分の好きなものだ。服が好きなら服に。音楽が好きならライブツアーの軍資金に。アウトドア派なら都市から田舎に。
たった660円のあつまりが、巨大な川の奔流となって幾重にも分かれて国の、世界の隅々までいきわたっていく。
この巨大な一連の流れが経済というものの正体であり、ここ100年ほどであっという間に我々人類を一つの船に乗る仲間にしてしまった。
どこかで流れが滞ればそれはその地域の人々の経済からの締め出しを意味し。かれらは世界から孤立してしまう。
逆にひとところに集まりすぎた流れは、そこから移動しようとせずまるで自家中毒のような症状を引き起こす。
こんな流動性のある巨大なものを人類が管理できるはずがない。まさに「神の見えざる手」とはよく言ったものだ。
資本主義はどこへ行くのか?このまま流れに任せるままでいいのか?
そんな疑問は愚問でしかない。そんなもの誰にもわかるはずがないではないか。もしそれに応えられるとしたら、それこそ神か悪魔でしかありえまい。
この流れに浴せずどこか遠いところから我々を眺めている何者か。
そんなものがいるとすればだが。
そんなかんじでどうしようもないアホなことを考えつつ、人の少なくなってきたカウンターに並んで月見バーガーセットをひとつ注文した。
待った、と思うほどの時間もなく、すぐさま運ばれてきたそれをおもいきりほおばる。
丸く厚く焼かれた卵の白身と、カリカリのベーコン、やわらかいバンズに程よい歯ごたえのあるパテが食感だけでおいしいと訴えてくる。
あのなんだかよくわからないピンク色のソースもやっぱりおいしい。なんなのかわからなくてもおいしいからおいしい。
毎年食べているのに飽きないおいしさ。
これだよこれ。
すっかり食べ終えたところで、今まで考えていたことの大半はどうでもよいことのように感じられてきた。
やはり空腹はろくな考えを呼んでこない。
おなかいっぱいおいしいものを食べられれば、人類の大半は満足だ。と思う。
これまたアツアツのポテトをつまみ、氷のじゃぶじゃぶ入ったアイスティーを飲みながら。
単品で良かったかもしれないな、とつまめるようになってきた腹の肉とを現実逃避気味に見ながら。
今年もおいしく月見バーガーを食べられたことに感謝しつつ。
このあたりで話を締めくくらさせてもらおうと思う。
なんでもない話を読んでくれてありがとう。
またお会いできることを願って。