志賀海神社の摂社、仲津宮・沖津宮 【海龍神】

創建等は不明。
社伝では,古くは志賀島の北側、
勝馬浜において表津宮・仲津宮・沖津宮の3宮から成っていたが、
阿曇磯良により、そのうち表津宮が志賀島南側に遷座して
志賀海神社となったそうです。
仲津宮・沖津宮は現在は摂社となっています。

仲津宮(勝馬宮)
【御祭神】仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)

中津宮古墳
この古墳は、7世紀前半ごろ(古墳時代)に造られたもので、
勝馬を基地とした海人集団の首長の墓と考えられます。                      この古墳は円墳で、円丘の径7m、高さ1.55mの大きさをもち
中津宮の前庭に位置しています。

埋葬は、まず、長さ約3.8m、幅約2.8mの長方形の竪穴を掘り、
その中に平たい石を用いて、4段以上に組み石室を造り(堅穴系石室)、
少なくとも5体の埋葬が行われていたと考えられます。
石室の床面には、
須恵器の浅底のお椀のようなもの(杯身・坪蓋)、須恵器の壷、
鉄鏃・鉄矛・刀子・鉄斧などの鉄器、表面に銀をはった金属製の耳環、
ガラス製管玉・小玉等が副葬されていました。

沖津宮(おきつぐう)
【御祭神】表津綿津見神・天御中主神

鎮座地
福岡県福岡市東区勝馬

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