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言葉が大事だと思うあまりに、弱音を吐けなくなっていた

年始以降の数日間の落ち込みについて振り返っていたら出てきたひとつについてまとめてみた。

年始に予祝を書いたのだが、それがとても気持ちよく、現実を言葉にすることって多々ある一方で、理想を語るときは未来形で、距離がある。しかし、あたかも「今こうなってるんですよ!」という感じで言葉にすると、本当にそういう気分になって気持ちがいい。だから、予祝はめっちゃおすすめだ~、と思った。

(そもそも書く前に、理想を描けているかがあって、描くのが難しいんだよなあ。「いいな」って思う未来があったとしても、そこから言葉にするというハードルもある。人の目に触れるから。でも、「そんなん無理だよ~」とかって言ってくる人なんて気にせずに、可能性を信じてくれる人と関わっていけたらいいなと思うし、そこも大丈夫。そう、だからやっぱり予祝ってめっちゃいいよね。ってなった。)

「言葉が持つエネルギーがそのまま現実を連れてくる」。だとすれば、自分が望む世界に見合った言葉を使おうーーーそう考えてると、「不安だな」「できるかな」「いやだな」「めんどくさいな」そういう言葉の存在価値を見いだせなくなったのが最近だったのかもしれない。「だって言う必要ないし」と思ったら、どことない閉塞感から、気づいたとき、突然自分がわからなくなっていた。(すごい速さのサイクル。)

言葉として、自分の内側にあるものを出すことは、やっぱり大事なんだねえ、となってる今。しかし、バランスって難しい。

上手な遊び方、逃げ方、気分転換は、浪人生の頃からの永遠のテーマだなあ。

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