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【日常】暗い?山での理想とギャップの狭間で
皆さん、こんにちは!
だっつです!
ブログを再開したからには
やはり、今までの山行を振り返りながら
山行記みたいにしたいな!
なんて思って、過去の登山を書き起こしているのですが
…暗い笑
出勤時間や仕事の休憩時間なんかに
バーって骨組みを書いて、見返して肉付けして
最後に読み返すのですが
…やっぱり、暗い笑
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なんでこうなるんだ…と
考えてみるに
自分にとって登山はどうしても自分の人生に重ねてしまうところがありまして
うまく乗り越えていけない人生を
目の前の坂道に重ね合わせて
それを乗り越えていく自分のイメージを抱きたいのかもしれない
…いや、暗い、とても暗い笑
なんで、キラキラインスタグラマーのように
槍ヶ岳綺麗、まぢ上げ↑↑
みたいになれないのか
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登山、登山ってさ
自己分析的なところがあると思うんです
生き方が出るというか
本性が出るというか
自然というある意味極限な状況になってみて
見えない自分が見えてくる
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どうしても、日常生活送っていると
こうしないといけないとか
こうなりたいとか
理性が働いてしまうと思うんです
学生の頃、就活で自己分析とかしてて
ほら、生協に売ってたダイヤモンド社の『絶対内定』とかやりませんでした?笑
自己分析をしてるようで、どうにか社会に役立つ枠組みに自分をはめようとして
自己分析のようで、こういう自分であってほしいみたいな理想の姿になってしまう
だっつが自己分析が下手な説も濃厚ですが笑
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でも、登山すると
ノートに書くよりも明確に自分って人間が見えてくるんです
何を楽しいと思うのか
何を辛いと思うのか
目の前の壁をどうやって乗り越えるのか
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こんな場所にいる自分、はて?
自分ってもっと繊細で虚弱で
誰かに守ってもらう
影に隠れていたい
そんな理想の自分と
北アルプスをガシガシガシ登って
大キレットや涸沢岳を越えて
槍登って奥穂登って
達成感を感じる
自分でもどこの誰かわからない自分
自分で自分に感じるギャップに苦しむ
山を登ることは自分の知らなかった自分を知ることなんです
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その結果、、なんで暗くなるんでしょうね笑
やっぱりこうであってほしい自分
とは違う自分がたくさん見えるからなのかもしれないですね
なんとなく登山界隈
北アルプスより南アルプスのたおやかで高原植物を愛すを方が本質的みたいな風潮あるじゃないですか
自分もそうでありたいと思いつつ
やっぱり槍ヶ岳や大キレットを乗り越えた達成感が忘れられない自分がいるんです
いつか、もっと登り続ければ
自分の価値観と本当の自分が出会える日が来るんですかね
…だめだ、やっぱり暗いですね笑
説得力ないんですが、楽しいんですよ、登山笑
でも、どこか山行記に影が出てしまうのは
まだまだ自分との葛藤をしてるんだなって
多めにみてください笑
ふらいあうぇい