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二度移住して、残ったもの

家族で2回の移住をしました。
転勤ではなく、自分たちの意思で引っ越した移住です。
前回、首都圏を出た時の話を書きましたが、今日はその続きです。

〜2022年 神奈川県川崎市
2022年 長野県へ引っ越し(長男:4〜6歳、次男:1〜3歳)
2024年 石川県へ引っ越し(長男小学校入学と同時に転入)

石川県で、やっと定住の地を見つけられてホッとした・・・という私です。

前回、新卒で就職して以来過ごしてきた首都圏での生活を離れるため
ジャイアンさながらの強引な夫の勧めにより、
いろんなものを手放して
転職活動に取り組むことにしたところまで書きました。
最初の移住の半年前くらい、9月ごろの話です。

手放したのは、たとえば

・上京した時に見たキラキラした風景
・9年働いて居場所もあった会社での給与と評価
・上司や同僚、友達との接点
・子供が大きくなったら一緒に行きたかった色々な名所
・住み心地よいマンションと住環境

そして、こういうもの。

・田舎育ちの私が都会の子育てに感じる居心地悪さ
・塾や受験
・いつでもどこでも順番待ち
・とにかく人が多すぎて嫌気がさしていた生活
・無機質な風景


それらを並べて
本当に自分はどこに住みたいんだろう?と問うた結果
「引っ越したい」が勝ち、
夫がゴリゴリ勧めてくる移住計画に乗っかって転職活動することにしました。

並べてみると、そこに合理性とか理屈とかはなく
感覚的、直感的に首都圏を離れたいと思った
というのが当時の私の気持ちだったと思います。

夫の直感で、移住先はなぜか
縁もゆかりもない「長野県松本市」になりました。

周囲の人からは「移住はいいと思うけど、その夫、大丈夫?」と心配され、それについてもよく考えましたが、
「何かの縁で間違えて暴れ馬に乗ってしまったけど・・・もうちょっと手綱握って頑張って乗っとこうかな。まあ、手はいつでも離せるし。」
みたいな感覚がありました。

破天荒な人と結婚してしまったら、このくらいさっぱりした気持ちでいるほうが平和なのかも。

転職活動

転職に関しては、実は、移住と関係なく、考えてはいました。
理由は、大企業総合職の何でも屋としての危機感です。
新卒からの恵まれたぬくぬくした環境を手放さなくては、この先の時代を生き抜けないかも・・・という妙な問題意識がありました。

夫ジャイアンの強引さによりそのタイミングがだいぶ早くなった感じでした。

私の転職の条件は、2点。

・フルリモート勤務
・独立につながるスキルがつけられるか
(当時は資格を活かした独立も考えていたので(過去形ですが))

コロナ真っ只中だったため、フルリモート案件はわりとあり
紆余曲折ありながら
最終的には経営コンサルティング会社とご縁あり、コンサルタントとして、転職することにしました。

12月ごろに決まったのですが、退職時の引き継ぎの都合上、4月引越し後に入社という、少し間のあく形で対応してもらうことに。

(余談ですが、引っ越す前の2〜3月くらいに転職しておけば、首都圏からの移住支援金で自治体から100万円くらい頂ける制度がありましたが、全く知らず、みすみす逃しました。笑
移住を検討の皆さん、私のようなことはないと思いますが、移住先の助成金リサーチをお忘れなく・・・。)

さて、いくら面接で印象が良かったとはいえ、コンサル業界の働き方はハードです。キャリアの武者修行に行く覚悟ではありました。

ちなみに私があれこれ悩む中、夫は、早々に松本の企業に就職を決めてました。

保育園と新しい家さがし

転職活動と並行して行ったのが、保育園の申し込みです。
当時、次男がまだ3歳未満だったので、競争の多い年齢。。。
何度も松本市に電話をして、書類のことや例年の待機児童実績などを確認しながら進めました。

家が決まっていない中、優先順位を書いて保育園の申込用紙を提出せねばならない・・・。

地図を見ながら、このエリアが住みやすそうとか、物件が出そうとか、あーだこーだ言いながら、候補の園を書いて郵送で提出しました。
そして、第1、2希望くらいの園には入れると信じて、オンライン内見で物件を探しました。

調べれば調べるほど、このエリアじゃなかったかなーとか
こっちの方にいい物件が出たーとか、色々と予想外です。
保育園は保育園で、どこになるかわからず。
何よりも、「そもそも園に入れなかったらどうしよう?」という不安もありました・・・

今でこそ「無職です〜」とヘラヘラしている私ですが、
当時、保育園に入れなかったら人生終わる、と思っていた私は、このの心中は本当に穏やかじゃなかったです・・・。

とはいえ、幸運にも、決めた物件から車で15分くらいのところにある保育園に兄弟一緒に入園が決まりました。
車で15分は遠いですが、入ってみると、遠さが気にならないほど環境の良い保育園でした。

そんなこんなで、なんやかんやと幸運も重なり、やることの多い準備を一つずつ進め、移住するに至りました。

移住してどうだったか

移住してどうだったか?
控えめに言っても最高の環境でした。松本から日常的にみえるアルプスや山々が迫る景色は圧巻で、私にとっては、仕事のストレスも吹き飛ばす何かがありました。
人にも恵まれました。子供達もすぐ松本の生活が大好きになりました。

だけどこれはただ私たちがラッキーだっただけ。

今日一番書きたいことは、
未練があったけれど手放した、大事な人たちとの関係についてです。

移住前の場所で大事にしたかった人間関係は
折に触れて贈り物を贈ったり、時々連絡をすることで、問題なく続きました。

移住してから、私のヤマト宅急便の住所録には、お世話になった人の名前がずらっと登録されていて、いいもの発見したら誰かに送るようにしてます。
お世話になった人と会う頻度が減り、関係が遠のくのが悲しいと思った移住でしたが、実はそんなことありませんでした。

ギフトを送れる相手がたくさんいるのはむしろ幸せだなと思います。

今はLINEがあれば大事な人への連絡はすぐできます。
忙しい毎日でいろんな人に連絡を取るのは意外と時間を取るもので、
「簡単」とは言いませんが、気軽にはできます。

時間をとって連絡しようと思わない人へ連絡しないことは、簡単です。

相手からの連絡も、同じことです。
連絡をくれる人は、くれます。くれない人は、くれない。

物理的に距離が離れると、大事な人との縁が浮き彫りになる感じがします。

それでいいんだ。
これが、移住した大きな学びの一つです。

私はその大事な縁を大事にする生き方をしたいなあ、と心から思います。

2回目の移住


さて、松本生活の間に、夫は1度転職してリモート勤務で東京の会社に再就職。夫婦で完全リモート勤務生活を1年くらい続けたのち、私は退職しました。

この時の詳しい心境は別の記事に書いたので割愛します。

この退職によって私は
・収入
・キャリア
という呪縛を手放すことにしました。

この辺はなかなか根深いものがあって「ふと気づいたら呪縛されているけど、それに気づいて手を離す努力をするようになった」
という言い方の方が合ってる感じです。

とにかく、仕事を辞めました。

それで、より家賃の安い家に引っ越す必要が出てきました。

このとき他に色々なことが重なります。

  • 当時2〜3ヶ月に1回くらいは会っていた私の実両親と、別れるたびに子供達が泣き出し、「近くに住みたい」と主張する

  • 父が定年退職し、祖母が亡くなり、実両親も住む場所にこだわりがなくなる

  • 長男が4月から行く小学校、保育園のお友達はほとんど学区が違う

  • 夫が東京の会社に出社するときに松本はアクセスが悪すぎることがだんだんネックに・・・・

ということで、こういう話になりました。

どうせ引っ越すなら、日本全国から選ぼうぜ
じぃじばぁばも近くに住もうぜ

というわけで、色々リサーチの末に選んだのが石川県の今住んでいる場所です。じぃじばぁばも孫のために思わぬ行動力を見せ、近くに住むことになりました。

たくさんの素敵な友人知人に恵まれた松本の暮らしは離れ難かったですが、場所が変わっても大事な人との関係は続けられることを知った私は、そこには縛られていませんでした。

仕事がないというのもありますが、この時はあまり迷いはありませんでした。松本の景色はとてもとても恋しく思いますが、年に1回はお友達に会いに旅行に行こうと心に決めて、離れることにしました。

今年の秋も、友達のお家に泊めてもらう旅行に行く予定です。

大好きな人との縁の繋ぎ方はさまざまだなあ、って思います。
年に1回お泊まりでがっつり家族で遊べる友達がいるって、素敵です。

うちの子供達は、もしこの先の人生、学校で嫌なことがあっても、川崎や松本、日本のどこかに気の合う仲間がいるって思えば強くいられるんじゃないかな、って勝手に思っています。私もそうです。

そして、そんな石川でもすでに色々な素敵な出会いがあり、
私は「仕事してないので」を合言葉に色々な場所に首突っ込めたらいいなあ、と思いながら日々を過ごしています。

残ったもの


この2年間半ほどの間に、私は実に身軽になった気がします。

収入、キャリア、住む場所、プライド、見返り
引っ越しで持っていくのか考えた「私のモノ」たち

こういうものに自分が強力に呪縛されていることを、移住を経て発見しました。

発見したものを一つ一つ解いていって、大事だと思ったものは手元に置いて、今この場所に落ち着きました。

最近よく聞く言葉で言うと「執着」と言えるのかもしれません。
もちろん、全部を解いたわけでも、その必要があるわけでも、まして、できるわけでもないです。
自分のことについて、ほんのいくつか、気づいただけです。それでも随分身軽になった感じがします。

そして残ったものは
ありがたいなあ、の気持ち。

どこに引っ越しても、時間が経って環境が変わっても、お世話になった人、縁あって仲良くなった人との関係を、大切にする生き方をしたいなと改めて思います。
そして、今、お世話になっている人、仲良くしてくれている人に、親切でいられるように、心がけたいです。

人との縁について考えるとき、個人的には、家族とそれ以外の人をそんなに分ける必要はないような気がしています。縁あって、たまたま一緒に住んでいるのが家族。

家族も、友達も、恩人も。
縁ある人たちとの思い出が、私の人生
なんだな、と思うこの頃です。


長くなりました。私の移住についての経験談でした!
ここまで読んでくださってありがとうございました。


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