久留米の偉人シリーズ【中村八大】
中村八大と久留米との関係
知~らない街を歩いてみ~た~い、どこか遠~くへ行き~た~い、で始まる歌詞は素朴で、胸にぐっとくるものがあります。
このメロディーを聴くと、とても物悲しく感傷的になります。
この曲は1962年にNHK総合テレビ番組「夢であいましょう」の中で、「今月(5月)のうた」として作られました。
作詞:永六輔、作曲:中村八大、歌唱:ジェリー藤尾で、その年の6月に発売され大ヒットしました。
昭和30年代に数々のヒット曲を生み出した作曲家の中村八大は、実は久留米生まれではありません。しかし、久留米とは深い繋がりがあります。
中村は父親の仕事の関係で、中国の青島市で生まれました。そして、終戦の年(1945年)に両親の故郷である久留米に、一家で引き揚げて来ました。
中村は、1945年1月から1949年3月までの4年間を久留米で過ごしました。年齢で言うと、14歳から18歳の頃になります。青春の多感な時期を久留米で過ごしたことが、曲想にも影響していると言われています。
中村八大は地元の西日本新聞に「戦中、戦後の混乱期であったことと、年齢的にいちばん感受性が強い思春期に久留米で育ったことで、やはり私の中の久留米は、私の内部で大きな地位をしめている」という回顧録を寄稿しています。
「遠くへ行きたい」は、ジェリー藤尾の歌も良いですが、たくさんの有名歌手がカバーしています。
それぞれが個性的で、いろんなアレンジで歌い上げており、みんな素晴らしいです。これぞ名曲です。
中村八大の略歴
1931年 1月20日に中国の青島市で生まれる。3男2女の3男
(当時、父親は青島の日本人学校の校長をしていた)
1940年 春に東京へ単身留学。ピアノと作曲の英才教育を受ける
(父親は早くから彼の才能を見抜き、ピアノを習わせていた)
1943年 夏に青島に戻る
1945年 一家で久留米市へ引き揚げる
1945年 1月~1949年3月まで久留米で生活。この間に中学明善校に通う
1949年 春に上京し、早稲田大学高等学院に編入する
1950年 早稲田大学に入学
1955年 早稲田大学を卒業
1992年 6月10日に心不全により死去
音楽活動
1949年に上京してからは、積極的に音楽活動を行っています。早稲田大学入学後には渡辺晋(後のナベプロ創業者)の勧誘を受け、折からのジャズブームを背景に、松本英彦らと「シックス・ジョーズ」を結成しました。
もうこの頃には、天才的なジャズピアニストという評価を受けています。
1953年になると渡辺とは袂を分かち、松本英彦、ジョージ川口らと「ビッグ・フォア」を結成して、若者から熱狂的な支持を受けました。
しかし、1950年代後半に入ると、ジャズ自体の人気が下降線をたどります。ジャズ市場が縮小するという悪い流れの中で、中村は自殺を考えるなど苦しい時代を過ごしています。
その後、渡辺に頭を下げて映画音楽の仕事を貰い、そこから再び運気が上昇し始めます。
苦手な作詞を早稲田大学の後輩・永六輔に託したことも功を奏します。
1959年に映画音楽として作った「黒い花びら」が第1回レコード大賞を受賞すると、それ以降は永六輔とのコンビでヒット曲を連発していきます。
夢であいましょう
作曲者である中村八大の地位を不動にしたのが、この番組です。
NHKの音楽バラエティー番組で、1961年4月8日から1966年4月2日まで、毎週土曜日22時台に生放送されました。僅か30分の番組です。最後の1年間は黒柳徹子が司会を務めています。
この番組の企画として、永六輔・中村八大コンビによる「今月のうた」が毎月1曲作られ、ここからたくさんのヒット曲が誕生しました。
その中から、2つ紹介します。
1961年「今月(10月・11月)のうた」で、坂本九が歌った「上を向いて歩こう」は瞬く間に大ヒット。その波は日本にとどまらず、ヨーロッパ、アメリカへと拡大していったのです。
アメリカで1963年5月に発売されると、6月には全米ビルボード3週連続1位という偉業を成し遂げました。
タイトルこそ「SUKIYAKI」でしたが、坂本九が歌い、歌詞もそのままの日本語でした。この快挙は永遠に語り継がれることでしょう。
もう一つ忘れてならないのが、1963年「今月(7月)のうた」で、梓みちよが歌った「こんにちは赤ちゃん」です。11月に発売されたにもかかわらず空前の大ヒット、その年のレコード大賞を受賞しました。中村にとっては2度目の栄誉でした。
その他の名曲
これもみんなが知っている曲です。1963年12月に発売された「明日があるさ」です。作詞:青島幸男、作曲:中村八大、歌唱:坂本九です。
この曲は、2001年にウルフルズとReJapanがカバーして、リバイバルヒットしましたので、ご存知の方は多いと思います。
1970年3月15日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会のテーマソング「世界の国からこんにちは」も有名ですね。
この曲は、作詞:島田陽子(詩人)、作曲:中村八大、歌唱:三波春夫です。
それから今でも流れているのが、日本テレビ「笑点」のオープニングテーマです。たくさんありますね。本当に彼は凄いし、郷土の誇りでもあります。