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古代史:南ルートでの大移動 (4)

北イスラエル10部族がアッシリア捕囚から逃れた時は2万数千人。そこから時間が経てば人数も増えます。アフガニスタンに残った本隊が先遣隊と合流するために東への移動を開始した時には、全部で4-5万人くらいにはなっていたかもしれません。老人や女性、子供たちを引き連れてタクラマカン砂漠と天山山脈の間のルートを移動するのは厳しすぎます。そのため、本隊は南ルートを選択しました。

アフガニスタンのカブールから東に、現在のパキスタンのイスラマバード方面へ移動しました。そして北にチベットとヒマラヤ山脈を望みながら麓を東に移動します。大規模な宿営地を設けたのはネパールです。

その後さらに東へ移動しブータンにも宿営地を作ります。ブータンも皇室と良好な関係で交流をもっています。ブータンの人々も日本人そっくりですね。
そこから東はミャンマー北部に宿営地を作ります。ミャンマー北部のカチン族はやはり日本人そっくりです。同様にカレン族は古代イスラエル族と認定されています。ロングハウスと呼ばれる長屋形式の高床共同住居に複数世帯が居住していたことが分かっています。これは構造的に青森県の三内丸山遺跡にあるものと酷似しています。シンルン族も同様です。別名ブネイ・メナシェ(メナシュ族)と言いマナセ族の末裔です。

ミャンマーからは中国に入ります。昆明に宿営地を設け、北上し四川省の成都に宿営地を設置します。四川省には羌岷(チャンミン)族がユダヤ系であるとされています。中国とチベット国境の近くに住んでおり、一神教を信仰し戒律に従いユダヤ起源の伝承もあります。

そこから、先遣隊の待つイスラエル部族最大のコミュニティである開封に合流します。これで預言者イザヤの予言が成就します。イザヤはアッシリア捕囚時代の紀元前8世紀のユダ王国の預言者です。

旧約聖書イザヤ書/ 42章

09節:見よ、先にあったことは実現した。/そこで、私は新しいことを告げよう。/それが起こる前に/私はあなたがたに聞かせよう。
10節:主に向かって新しい歌を/地の果てからその誉れを歌え。/海に漕ぎ出す者、海とそこに満ちるもの/島々とそこに住む者も。
11節:荒れ野とその町よ。/ケダル人の住む村よ、声を上げよ。/セラに住む者よ、喜び歌え。/山々の頂から大声で叫べ。
12節:主に栄光を帰し/その誉れを島々に告げよ。

いかにも、さらに東の日本に向かうような記述もあります。
実際に、北イスラエル10部族は開封に集合したのちに日本へ渡ることになります。この年代がBC660年の皇紀元年と私は考えています

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