D アトキンソンさん、違いますよ
デービッド・アトキンソンさん(小西美術工藝社社長)の中小企業論がちょっとした話題になったそうです。
東京商工リサーチのこんな記事を見つけたので読んでみました。
検討点1:労働生産性が低い問題について規模の経済学が解決策としている点。
検討点2:生産性の低い中小企業に働く労働者の割合が高すぎるとして、やはり規模の経済の働く大企業で働くべきだとしているのと同じ意味である点。中小企業が多いことを問題視していないと言っていますが、4年前にはこんな事を言っています。
あっれえ?中小企業の数が多すぎると言っていますね。
検討点3:企業規模が小さいと支援の効果は薄く、生産性向上に繋がるイノベーションは起こしづらく、輸出やDXは困難。
まとめると、アトキンソンさんの意見はこのようになります。
中小企業(特に小売業やサービス業)は労働生産性が低い。
企業規模が小さいと生産性向上につながるイノベーションは起こしづらく、規模の経済が働かない。
そのような中小企業は淘汰されるべきか、生産性の低い会社に労働者を配置するよりも生産性の高い大企業などの規模の大きいに配置した方が良い。
労働生産性と言っても物的労働生産性(生産物の個数や容量のような物理的量を産出量とする)の場合は、製造業に適用でき、規模の経済が働きやすいとは言えます。ただし、いくら物的労働生産性をあげようと資本を投下して生産設備の刷新や大規模化を図って大量生産しても製品が売れなければ意味がありませんし、競争の中で薄利しか得られないのであれば「利益なき繁忙」に陥るだけで、本来の目的の賃上げどころかリストラにもつながりかねない反面のリスクがあることになります。小売業やサービス業などの非製造業では工場のような設備投資はなく、この場合の大規模化というのはIT投資かまたは労働者の投入という面が強くなります。小売店舗に店員さんを多く貼りつけても売上は増えません。また、クラウドサーバーやアプリ開発を行なっても事務処理や分析の効率化にはなっても売上は増えません。
労働生産性を付加価値労働生産性(生み出したモノやサービスの金銭的価値を産出量とする)はほぼ粗利と同じです。これは大企業と中小企業では統計的な平均像ではたしかに格差があります。こちらの計算式の方が賃上げに直結しますし、製造業や非製造業の差は関係なく同業種内の大企業と中小企業の差を比較できます。どの業種でみても2.2倍〜3.3倍の生産性格差があります(中小企業庁小規模企業白書2020年版より)。
しかし、「これをもってして中小企業の労働生産性が低いから問題とするのはあまりに軽率な分析判断」と言えます。
日本の中小企業比率は98-99%に及びます。ほとんどの企業が中小企業(小規模・零細含む)です。その中には2つの類型に大別できます。①企業を大きく成長させたい(できれば上場もしたい)というグループ。②無理して成長するよりは、長く(意図した存続期間で例えば10年間とか100年企業を目指すとか)存続できることを考えたいグループ。この②のグループは労働生産性などには無頓着で興味も持っていません。
ではこの②興味なしグループは法人をやめて個人事業主になれば良いのでしょうか?個人事業主という無限責任と法人格をもつという有限責任ではその意味もメリットも大きく違います。
お父さんとお母さんが家業をやっていて、それを見て育った子供がその家業を受け継ぎたい。そういう例も一杯あるわけです。
私は上場会社や未公開のベンチャー企業に投資する仕事を四半世紀以上続けてきました。非営利企業の病院グループも役員として見てきました。しかし、今は家業を創設するという目的で会社を興し経営しています。
そういう中小企業も少なくないですし、98%の中小企業のうちのほとんどがそういう実態だと思います。アンケート調査したわけではないので推測ですが。
つまり、中小企業の労働生産性が低いと言う事を議論にする際には、②のグループはその対象母集団から除外しなければならないのです。現実的にはその選別は無理です。従って、労働生産性を規模サイズで論じるのは空論でしかありません。
次に、①の労働生産性を意識はするが低いという中小企業グループは大規模化すれば良いのでしょうか?
私が長年の投資経験で観察して感じたことは、大企業の労働生産性はむしろ低いということです。それは付加価値生産性ではなく、物的労働生産性です。つまり、ただ無駄なだけで意思決定を遅らせるだけの稟議システム、自分の業務領域以外は無関心な社員、斬新なアイデアも出ない形式的なだけの会議、横並び主義、意見を調整するか上司の意見を部下に伝達するだけの中間管理職、IT化していますと胸を張っても稟議書を電子化しただけの本末転倒。このような昔から変わらぬ日本人の働き方を見ると物的労働生産性は極めて低いと言わざるを得ません。
それでは、なぜ大企業は物的労働生産性が低くても、付加価値労働生産性が高いのでしょうか?それは大企業というブランドがより高い価格での売上を促進し高い粗利を成立させているからです。あるいは大企業という優越的な立場を利用して中小企業の採算スレスレの価格で仕入れ調達をしているからです。ここが問題の本質の一番目です。
一方で、①グループの中小企業は内心では志があっても諦めてしまっている企業も多いともいます。いわゆる、下請けに甘んじて自社ブランドで独立独歩に踏み出せない企業グループです。このグループには弱気マインドの転換とそれを支援する政策が必要なのです。これが問題の本質の二番目です。
海外とのビジネスを長らくしていると、大した製品(サービス)でもないのに我が社の製品(サービス)は世界一だと風呂敷を広げる会社がごまんとあることに気づきます。よく厚顔無恥なことを言えるなと感じてしまうのですが、消費者や顧客から見れば自信があることが信用できることの根拠のひとつなので、それで商談が成立してしまうことも往々にしてあります。なので、海外企業は平気で高い利益率を貪ります。
日本企業は長らくデフレ時代で安くしないと売れないという強迫観念から脱皮できないでいるわけです。その違いが国際間の付加価値労働生産性の差となって現れているのです。
結論:
つまりアトキンソン氏がいう中小企業の低い労働生産性の解決策には規模の経済を必要というのは、間違った処方箋です。さらに、生産性の低い中小企業は退出させるべきというのは愚論です。
余談:
私がファンドマネージャー部門の責任者をしていた90年代から2000年当時、毎日10冊以上のエコノミストやアナリストのレポートが届きました。発注先の証券会社を分散するので、ゴールドマンもモルガン・スタンレーもUBSもBNPパリバも野村や大和の日系もありました。しかし、アトキンソンさんのレポートは記憶にありません。私より9歳下ですから、まだ一人前のアナリストレポートは書いていなかったのかもしれません。これは面白いと思うものだけ赤のサインペンでその箇所をマークし、あとはゴミ箱行きでした。そっちの方に分類しちゃってたのかな。
不良債権のことについて言えば、簿価主義会計から時価主義会計への移行についてBIS(国際決済銀行)や会計士協会で議論が始まったのが80年代後半、1990年には時価会計に関する意見書が出ています。当然、銀行の貸出資産を時価評価して実態価値が簿価よりも下回っていれば回収不能となり不良債権となる、という考え方は当時からありました。たしか住友銀行だったと思いますが、不良債権問題の早急な決着を図って、1995 年 3 月期には当時としては異例の赤字決算を断行しました。
アトキンソン氏の銀行の不良債権に関する本は1994年10月に出版されているので、それ以前に銀行業界や投資業界では不良債権問題が取り沙汰されていました。
YouTubeを観ていると彼以外にも自分で不良債権大魔王と称している大蔵官僚出身の方とかいますが、その方も知りません。ほとんどの有名エコノミストやアナリストと付き合って、また霞ヶ関とも話をしていたのですが記憶にありません。