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【シャニマス】俺は、彼女たちの未来なんか見たくない【#パラコレ】

2024年4月16日、アイドルマスターシャイニーカラーズは目前に6周年目を控えており、7年目へと漕ぎ出すべく生配信をした。

私は事前登録キャンペーンからシャニマスをプレイしていたのでシャニマスとの付き合いも6、7年目になる。

本当に誇張表現無しで、ツラい時も楽しい時も嬉しい時も悲しい時もシャニマスと一緒だったと思う。
目を閉じれば1stLIVEでストレイライトがサプライズ発表されたPVで涙が出るほど興奮した事を思い出す。
2thライブは現地が当選していたが、コロナによって公演は中止され、配信にてノクチルの発表がされたことを覚えている。
悔しかった私はチケットを払い戻さずに、二度と公演される事のないライブのチケットを引きだしにしまったままである。

シャニマスはかなり前衛的なソシャゲであり、シナリオにしろ、イラストにしろ賛否両論になったり物議を醸す事もあった。

しかし気付けば、私はシャニマス全肯定botになっていた。

本記事は4/17現在まだ実装すらされていないパラレルコレクションについて、批判的な記事であり、キャラクターの解釈や考察について触れているので注意されたし。



1.同じ空の下のどこかにいるあなた

私にとってのシャニマスの魅力は、なんといってもその文学性だった。
シャニマスはキャラクター同士が会話する形式で物語が進行していく都合上、小説のような地の文が存在しない。
故に、キャラクター間の口語的なセリフのみで、主題とは別の視点から暗喩的に物語の核心に迫っていくことも多々ある。
その手法に感動した。
あえて結論を書かない事で、読み手側に解釈の幅を持たせ、ああなのかなこうなのかなと想像することも楽しい。
実際noteにシャニマスお気持ち表明や考察記事が多い事からもその事実が伺える。

シャニマスのその文学性の高さから、映画を見終わった後のような、あるいは小説を1冊読み切った後のような気持ちよさがあった。

極上の比喩表現、時には別作品のオマージュ、繊細な心理描写、複雑な人間関係、それらからなる【キャラクターの実在性】が好きだった。
存在感の厚み、と言ってもいい。

キャラクターを1つの記号としてではなく、同じ世界のどこかで生きている同じ人間なのだ、とそう感じられる事が好きだった。
その事が物語に深みを持たせてくれている気さえしていた。


これはシャニマスのシナリオ班のインタビュー記事からの抜粋だ。

シナリオを担当している橋元さんは「シナリオ上都合の良いことばかりをキャラクターに喋らせるほうがスムーズに物語を進行できるが、それをしない事がこだわり」と仰っている。

つまり、キャラクターの実在性が土台としてちゃんとあることで、シナリオライターが無理矢理喋らせるのではなく、「このキャラクターだったらこの場面はこう喋るだろうな、こう思うだろうな」と、キャラクターが喋りだす感覚に近いのだと思う。

繰り返しになるが、それはキャラクターとして、存在感の厚みがあるからだ。
キャラクターが人間として生きているからだ。

また別のインタビュー記事では、総合プロデューサーの高山さんはこう語っている。

どういう生い立ちでどんな人生を歩んできたんだろう。どんなふうに今の人格に至ったのだろう。
それら【これまで】のバックボーンが、【今】の人格を形作り、細かい所作や思想、発言や行動として表に出てくる、と彼は仰っている。

直接描かれる事のない【これまで】まで、彼女たちと向き合うことが、リアリティ、実在性が伴う要因だ、と高山さんは仰っていた。

旧Twitter、現Xでは、まるでアイドルが実在しているような投稿がされる事がある。

高山さんは、それらの施策を「ライブ感を重視し、アイドルとリアルタイムで同じ時間を過ごしている感覚で彼女たちを身近に感じて欲しい」と語った。

つまり、彼女たちの存在感の厚み、実在しているよ、という感覚を楽しんで、と高山さんは言う。
SNSを活用し、ゲームとは違う角度からも【アイドルの実在性】を感じさせてくれる良いキャンペーンだったと私は思っている。

これは演出班の方のインタビュー記事の抜粋だ。

「ドラマや映画、ゲームなどで使われている音の使い方を普段使ったり見たり聞いたりしているが、シャニマスでは現実に近い音を使いアイドルの実在性を表現したい」と演出班の方は語ってくれた。

なるほど。
シナリオ、演出、効果音、ゲームとは直接関係のないSNS上の施策までこだわり抜き、
【アイドルの実在性】その一点を表現するために人事を尽くしている事が伺える。

彼女たちが使っている傘……
ああ、美琴さんはアイドルと関係なさそうな所には無頓着だから素っ気ないただのビニール傘使ってそうだよなぁ……とか。
樹里は動きやすそうで、かさばらない、機能性重視の折りたたみ傘使ってそうだよなあ……とか。

彼女たちが履いている靴…高校生組はローファーだよなあ、とか。
彼女たちが持っている鞄、彼女たちが使っているヘヤゴム、リボン、スマホ、被っている帽子、はづきさんが残してくれたメモ、はづきさんが冷蔵庫に入れてくれたおやつ……

彼女たちがいる事務所。

目には見えないけれど。

ああ、彼女たちはここにいる、と。
私はそう思っても良いと思えた。


2.ここではないどこかにいるあなた


2024年4月16日、シャニマス公式から新しい告知がなされた。

パラレルコレクション。

あり得るかもしれない『アイドルのIFの未来』の一欠片を描いていく。


コミュ内で『未来のアイドル』を描写!
中にはアイドルとは別の職業になっているアイドルも……?

私の心臓は跳ねた。

特に、アイドルとは別の職業になっているアイドルも……?という一文は私を酷く動揺させた。

これには理由がある。

アイドルマスターシャイニーカラーズ5th LIVE『If I_wings.』。
その公演のDay1の内容にあった。

かいつまんでその内容を説明すると、『もし、なんらかの原因でアイドルたちが引退してしまい、その卒業公演のようなものだったら』という演出がされていたのだ。
「これが最後なんて……」「寂しいよ」などと【終わり】をほのめかすような、彼女たちの言葉が私の胸を刺した。

公演のタイトルにもなっている【If】である通り、彼女たちがアイドルを辞める、なんてのは【もしも】ではあるのだが、この先の可能性の【未来】、【これから】として、彼女たちがいつか終わりを迎える、そういう道もあるのだと、足がすくんだ覚えがある。

シャニマスと高山さんの努力のおかげで、彼女たちが実在することを私は知っている。
知っているからこそ、彼女たちにいつか終わりが来ることに酷く怯えたのだ。

所詮、彼女たちは創作上の生き物だ、と吐き捨てることなんていくらでもできる。

しかし6年前から私は、シャニマスと高山さんに「騙されてもいい」と思ってしまった。

彼女たちは、同じ時間を過ごしている、この同じ空の下のどこかに彼女たちはいるのかもな、と。

そんな私の目に入ったパラレルコレクションの告知は、知らない言語で書かれた洋書のようなものだった。

前述のインタビューの抜粋の通り、シナリオライターさんや高山さんが真剣にキャラクターと向き合ってくれていることはもちろん重々承知している。
その仕事ぶりに6年も惚れ込んで騙されてきたのだから。

だから、キャラクターが【これまで】どんな人生であったか、どんな経験をしてどんな経緯を経たからというバックボーンが、【今】を語る上で必ず必要なのも理解しているつもりだ。

なんならカミングアウトするが、私は芝居をするために上京した人間だ。
役作りやキャラクターとの向き合い方に関して、ほんの少しだけ勉強してきたつもりだ。

だから等身大の【今】を描写するために【これまで】を振り返る必要性は絶対にあると理解している。

そして【未来】はその【今】から形作られたものでなければならない。

【未来】から見た【今】は過去であり、【これまで】の中の一部なのだから当然だ。

だから、彼女たちの【これから】にはプロデューサーと歩んできた【これまで】を糧にして成長していて欲しいのだ。

この1年目のインタビューで高山さんはこう語っている。

アイドルと二人三脚でトップアイドルを目指していくようなものにしています。

つまり、シナリオと、なんなら根幹であるゲームシステム的に、プロデューサーとアイドルは共に成長していくもの、と定められている。

プロデューサーと共にあるアイドルの【今】と、一緒に成長してきたという【これまで】を踏まえた【未来】があって欲しいと思うのは自然の同理ではないだろうか。

じゃなきゃ一緒に6年もなにを積み重ねてきたのだ?

一緒にトップアイドルを目指すとして、プロデューサーとアイドルという関係性でずっと一緒にやってきた。

逆説的に、プロデューサーがアイドルのそばにいるのは、彼女たちが歌い踊るからだ。
アイドルであるから、だ。

私が歌い踊る限り



アイドルとプロデューサーという距離感はずっと平行線のままで、この関係性以外は全て、全て全て全て全て【ノットイコール】でなければならない。

ノットイコール


【もし】、そんな簡単に、創り手側の都合で、その関係性を壊す事が出来たのならば彼女の「ううん、違うよ」って言葉の覚悟はどこにいってしまうのか。

どんなにプロデューサーとアイドル以上の関係になりたくてもなれない、それ以上にもそれ以下にもならない事を知ってしまった彼女の葛藤や苦悩、覚悟は軽んじられてしまうの?

プロデューサーが彼女たちのそばにいるのは、彼女たちが【アイドルだから】だ。

彼女たちがアイドルだから、プロデューサーがそばにいるのだ。

【もし】アイドルじゃないならば、プロデューサーがそばにいるべきじゃないし、プロデューサーを通して私たちプレイヤーが干渉することも不思議なことだと言える。

だから、たとえ【もし】、であったとしても、彼女たちのアイドルじゃない可能性なんて示唆しないで欲しかったのだ。


また、プロデューサーには彼女たちの人生を賭けさせた責任がある。

彼女たちは一人一人特別な存在だが、一人一人普通の女の子だ。

円香の言う通り、華やかな舞台に呼び寄せて、他人の人生を賭けさせ、

常に他人の評価がつきまとう『矢面』に立たせた、責任がある。

厚着しているスタッフたちの傍ら、薄着で彼女たちを立たせた責任がある。

【もし】彼女たちがアイドルを辞めて他の道に進むことになったとしてもそれは同じだ。

これは前述のシナリオ担当の橋元さんのインタビューの抜粋だ。

アイドル活動は、その子達のかけがえのない時間をわけてもらって、それを売っている側面がある。

橋元さんはそう語る。

だから、それに伴って発生しうる現実から目を背けないこと。

それを大事にしている、と仰っている。

だから、プロデューサーと283プロダクションは彼女たちに対して重い責任がある。

【もしも】なんて言葉で、背けてはいけない現実がある。

【もしも】なんて言葉で片付けてしまうのならば、片付けてしまえるのならば、やはり彼女たちの人生なんてそんなもので、所詮創作上の人間でしかない、と結論づけることになる。

重い責任がつきまとうからこそ、背けてはいけない現実があるからこそ、【キャラクターの実在性】に厚みが出ていたのではないか。

その一点にこだわってこの6年間やってきたのではないか?

だから、たとえ、【もし】、であったとしても、彼女たちのアイドルじゃない可能性なんて示唆しないて欲しかったのだ。


緋田美琴は、283プロダクションに入る前からアイドルであった。

だからプロデューサーは、彼女に対しては、業界に引きずり込んだ責任を負う必要はない。
(アイドル活動を続けさせた責任はつきまとうが)

アイドルを選んだのは彼女だ。

緋田美琴は、もともとは歌手志望だった。
それがパフォーマンスに魅せられ、自分もそうなりたいと願った。

彼女は、歌も出来る、ダンスも、ダンスの振り付けも出来る。
なんだって出来る。
他の職業の可能性なんていくつでもあった。

でも、アイドルを選んだんだな

でも、アイドルを選んだんだ。

そこにいろんな葛藤や、思い、努力、しがらみ、さまざまなものがあったはずだ。

目指すアイドルになれるなら死んでもいい、と語る彼女は、生半可な気持ちでアイドルを選んだわけじゃない。

緋田美琴だけじゃない。

最初は乗り気じゃなかったかもしれない、スカウトだったかもしれない。
はたまたオーディションで自分で望んでこの業界に来たのかもしれない。
かけがえのない幼馴染がこの世界に来たから自分も着いてきただけかもしれない。

それでも、最終的に、アイドルになりたい、アイドルを続けたい、とそう願ったのは283プロダクションにいる彼女たち全員のはずだ。
アイドルになることで伝えたい事、出来た目標、意義、それぞれがそれぞれ持っているはずだ。

彼女たち全員が、自分でアイドルを選んだんだ。

誰1人だって適当な気持ちでそれを選んだわけではない。

だから、アイドルを選んだ彼女たちの気持ちを軽んじて欲しくなかった。

【もし】アイドルを選んでなければ知りすらしなかった気持ちのくせに、と言われてるようだ。

だから、たとえ【もし】であったとしても、彼女たちがアイドルじゃない可能性を選んだ、なんて示唆しないて欲しかったのだ。 


パラコレの1週目として市川雛菜のイラストが公開された。

ノクチルではない友人たちと、大学と思われる校門で談笑する様子だろうか。
今の雛菜と比べてやはり大人びた印象を受ける。

市川雛菜のデザインとして「年齢の割に妙に達観、自覚の有無に関わらず諦観していて、どこか人生に妥協しているような物憂げでミステリアスな少女」というような印象を持っている。

どこかで、『ここまででいいや』って思ってるんじゃないか?
そういうやり方が必要な時もきっとある
でも、きっとそれは今じゃない

妥協するやり方自体は間違いではない、と認めつつも、【今】じゃないよな、と諭すプロデューサー。

お仕事でもなんでも、つまみ食いして、たくさんの味を知る。

雛菜は、やれば大抵なんでも出来てしまうが、それはつまみ食いしたお菓子のようにちょっとずつだ。

やれば大抵なんでも出来てしまうだろうが、全ての分野においてちょっとずつであり、中途半端だ。

それは市川雛菜が心のどこかで『ここまででいいや』と線引きをしているからだ。
妥協しているからだ。

そうなれば、何に対しても真剣になれずに、惰性で生きていく事になる。

そんな生き方を、15歳で高校生1年生の女の子がするのは危うすぎる。
そうプロデューサーは言っているのだと私は解釈した。

プロデューサーはそんなやり方は【今】するべきじゃないと言った。

ならば、その【今】とはいったいいつの事だろうか。

卒業後の進路なんて、ずっと先の【未来】の事だと彼女は言う。

しかしその反面で、学校生活も「いつか終わっちゃうもんね」とも笑う。

年齢の割に妙に達観している、というのはこういう所だ。
普段はニコニコしているが、たまに真顔で核心めいた事を言う。

普段は何も知らないようにニコニコして装うが、本当は物事の本質を見据えている。

始まったばかりの高校生活も、夏休みも、かけがえのない幼馴染との関係も、人生も、アイドルとしての時間も、いつか終わりが来ることを知っている。

そんな彼女は間違いなく蒲魚「カマトト」ぶっているのだ。

何が言いたいかというと、「心身共に実年齢とギャップがある」というのが市川雛菜のデザインであり、メインの共通コミュでもそれが強調されているはず、という点だ。

少なくとも、年齢や将来の話、青春というかけがえのない時間を共通コミュのメインに据えているのだから、時間や年齢というのは、市川雛菜の、ノクチルの、いやアイドル全員の避けられない現実だ。

だから今回の年齢操作という二次創作じみた施策は長年コツコツ積み重ねてきた【キャラクターの実在性】を大きく欠く内容であると私は考える。

今までどういう生い立ちで、どういう人生であったかという【これまで】は、【今】を語る上で必須であるし、

葛藤や苦悩、時には人とぶつかって心を砕くようなやり取りもして、プロデューサーと二人三脚で少しずつ積み重ねて来た【今】の延長線上に【未来】がなければならない。

そうでなければキャラクターの実在性など無い。
さらに言えばプロデューサーの存在意義すらない。
プロデューサーがいる【今】を踏まえてない【未来】の話ならば【今】なんてあっても無くても対して変わらない。

アイドルを続けたいと決意した彼女たちの気持ちを軽んじてまで、アイドルではない職業についた彼女たちの未来なんて見たくない。

3.まとめ

・私はシャニマスが大好きであること。
・シャニマス公式が言うことならなんでも全肯定するほど、公式のやり方が好きだったこと。
・シナリオスタッフ、演出スタッフに至るまで、シャニマスは【キャラクターの実在性】を表現するために注力してきた事実があるということ。
・【キャラクターの実在性】は間違いなくシャニマスの魅力の1つだったこと。
・思春期ならではの複雑の感情、人間関係、年齢を物語の題材にしているのに公式が年齢操作をしてしまった事。
・彼女たちのかけがえのない時間をわけてもらって彼女たちを売り物にしている、と創り手がインタビューで語ったにも関わらず【もしもの未来】を公式が発表した事。
・パラレルコレクションの実装で、アイドルたちがこの先アイドルを引退する未来の可能性もあるよ、と公式が宣言してしまった事
・公式が可能性の1つを宣言すればそれはもう正史と大差ない事。文字通りパラレルで、もう1つの現実である、ということ。
・創り手側の都合でアイドルを続けたいと決めた彼女たちの気持ちを捻じ曲げた、といちプレイヤーの私が感じた事。
・普通の女の子だった彼女らをアイドルの世界に引きずり込んだ責任がプロデューサーにあるのに、【もしも】という言葉でアイドルではない世界線の話をし始めた事。
・プレイヤーの分身であるプロデューサーと積み重ねて来た【これまで】の時間をないがしろにした【未来】の話である事。

・これら全てで【キャラクターの実在性】を大きく欠く、と感じたこと。


ちなみに、プレイヤーである私はプロデューサーに全く感情移入できない。
だからプロデューサーを自分の分身だとも思わないし、いわゆる夢女みたいな創作も想像もシャニマスでは一切しない。

昼飯、ちゃんと食べないとみんなに心配されるな

人のために身を削るような働き方は私には出来ないし、私は色んなコミュで語られるプロデューサーのような聖人君子の人格者ではないし、彼のようなユーモアも持ち合わせていないし、

みんなに心配されるから飯を食うような狂気も持ち合わせていない。

少なくとも飯はお腹が空いたら食う。

だから私自身はアイドルの彼女たちに責任を一切感じていないし、保護者ヅラもしていない。
なんならプロデューサーを通してあちらを覗き見しているだけの私が、関係者ヅラしているほうが厚かましい、とすら思う。

だから責任は、プロデューサーと、天井努と、シャニマススタッフにある。

みんな特別だし、みんな普通の女の子だ

翼を与えてしまったのだから。

【もしも】なんて言葉で翼をもぐようなことはしないで欲しかった。


だから、俺は彼女たちの未来なんか見たくない。

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