「がんばって」
中学校の時、転任していく体育の先生に手紙を書きましょうってことになった。
体育の先生は少し怒ったような顔で「がんばれって書かないで」と言った。
個人的にあまり親しくもない先生に「他の学校へ行ってもがんばって下さい」という無難な文章を考えていた。それさえNGにされてしまって書くことが無くて「今までありがとうございました」から進まず、相当悩んだ。
多分このエピソードが無ければその先生を思い出すことさえ無かったかもしれない。
「がんばって」って言葉に嫌だと思ったことがあったかな。
あったかも知れないな。
どちらかというと「がんばって無くて申し訳ない」って思う方が多かったかな。
がんばり尽くして、もうこれ以上がんばり方が無い!ってほどがんばった人はきっと辛いんだろうな。
それは分かる。
もういい歳になった私にがんばれなんていう人は年々少なくなってきた。
応援される側でなくなって気付く。
昨日伯母から電話があった。
「キュー、がんばれよ、まだまだなんだから、がんばれよ。ここからも長いんだから、がんばれよお」
弱々しい声で、がんばれって言葉を何度もくれた。
小さい頃からずっとずっと言われている。
何をがんばったらいいのか分からないほど小さい頃から言われている。
伯母の人生は生きやすいものではなかった。
心が折れ、人間不信になっても仕方がない事が何度も起きた。
それでも伯母は強く、懸命に働き、詩を詠み、本の中で夢を見て、光を忘れなかった。
「夢見る夢子さん」と呼ばれていることを嬉しそうに笑って話してくれた。
「がんばれよ」
人生を通して言ってくれた言葉。
悲しいことを乗り越える力。
不条理な災難を受けても生きていくこと。
それがぎっしり詰まったがんばれ。
同じ言葉にも重さがある。
伯母の人生の詰まったがんばれ。
その中身はあたたかい。
「私をずっと応援してくれてありがとう」
言いかけて、言うと最後になりそうで、言えなかった。