10年に一度のお買い物
ここしばらく仕事が忙しくnoteに向き合う時間がなかった。
仕事の忙しさ、任された業務へのプレッシャーに加え、タイミング悪く夫婦喧嘩も重なり知らず知らずストレスを溜めていたらしい私は、買ってしまった。
10年ぶり2回目。
思えば10年前にそれを買ったときも私は仕事のストレスを抱え爆発寸前だった。
コロナ禍以前のことゆえ、当時は毎日電車通勤をしていて、九州くんだりのぬるい通勤ラッシュにさえ心身ともに疲弊していた私はほとほと嫌気がさしていた。
悪いことは重なるもので、その日、私は駅構内で見知らぬ男性から足を踏まれた。
男性に悪意は一切なく不可抗力であり、普段の私なら受け流す場面。
「ちっ!!」
飛び出たドでかい舌打ちは私のものだった。
足を踏んだ男性が反射的に頭を下げるコンマ5秒早く、私の口から舌打ちが飛び出した。
え…誰よこのガラの悪い女。
私なの!?私がこのドでかい舌打ちを?
自分の意志で出したものではない、完全にコントロール外のこの舌打ちによって私は自分自身の限界を知った。
あ、これはもうだめだ。
悪意のない事故に舌打ちで返すくらい私の心は今ささくれ立っているのだ。
足を踏んだ男性が嫌な奴ならまだ救われるのだが、彼はとっさに頭を下げることのできる至ってまともな男性なのだ。
これにより私の舌打ちの邪悪さが相対的にぐんと上がった気がする。
自分の失態を取り返すべく、頭を下げてくれた男性にお辞儀を返すのが精一杯だったが、舌打ちをかます人間の次の行動として辻褄が合わず、全体として逆に情緒不安定感が増した気がする。
余裕のない自分に絶望しその日一日のストレスフルな業務をいつも通り終えた帰り道、私は出会った。
真っ白でふわふわのテディベア。
暗黒面に落ち、よどんだ瞳の私にくらべ、このぬいぐるみのつぶらな瞳の無邪気さよ。
そっと触れる。
指先にふわり…とした柔らかさ。かすかな温もり。
体からふっと力が抜ける気がして、気が付いたときには私はそのぬいぐるみを購入していた。
それが10年前。
断っておくが、私はぬいぐるみ愛好家ではないし、多分その辺の女子よりは可愛らしいものや柔らかいもの、手触りのいいものへの興味関心は低いと思う。
一時期コンビニがこぞって売り出していた「トロトロ」系のスイーツや、「とろふわ」「ほっこり」等のワードにも特段惹かれない。
プリンはトロトロ系より卵の味がしっかり感じられる固めが好きだし、なんならプリンやカスタードクリーム、ティラミスに属するものよりも、カラムーチョ、スルメ、酢昆布に属するものの方が好きだ。
そして今。
私の隣には新たなぬいぐるみが鎮座している。
気が…ついたら買っていた。
そう言うしかない感じ。
まあかわいい!欲しい!いくらかしら?という当然の心の動きをすっ飛ばして、脊髄反射で品物をレジに差し出す感覚。
そうかそうか、私の心はこんなにも荒涼としていたのだな。
届いた世にもふわふわなものを前に私は自身の状態を冷静に分析する。
これほど可愛らしく柔らかく心地よい重みを抱っこする他にもう万策尽きた状態であるのだな。私の精神は。
私がこの世で一番可愛らしく柔らかく心地よい重みだと自認している我が息子福太郎を抱っこすることで解消しないのかい?
しないのだ。
福太郎は時として私の柔肌をひっかき血をにじませることがある。ケタケタと笑いながら抱っこから身をよじり逃げ出すこともある。
自分の意思を持たない無機物が有機物に勝る瞬間も時にあるのだ。
鉄やプラスティックの硬さ冷たさとは違う、ぬいぐるみはまさに無機物と有機物の間。
冷静と情熱の間のちょうど良いぬくもり。
ぬいぐるみでしか癒せないささくれがこの世にはある。
私が購入したぬいぐるみはこちら。
ディズニーストアで買い物をする日が来るとは思わなかったなぁ。
購入したぬいぐるみの詳細を調べてみたところ、どうやらこいつは、悪役のネコのキャラクターをクマにしたというなんだかずいぶんトリッキーな奴なのだという。
生意気そうな表情がいい。
こんな顔しているくせにふわっふわな手触りがいい。
肉球部分のふかっとした感触も素晴らしい。
ストレス感じててやばいよー!というそこのあなた、あなたに今不足しているのはこいつかもしれませんよ。
※ただしオンラインで送料を含めると5000円を超過してしまうので注意。
脊髄反射で買ったと言いましたが、正確には私はここで一瞬躊躇いましたw
10年に一度のお買い物
〜庶民の哀しさを添えて〜