しなやかで美しい野生動物みたいに生きていきたい
しなやかな野生動物みたいに生きたいと思っていた。
さすがに大きな声で言うのは恥ずかしいが、今でもそう思っている。
子供のころから私はわりかしものを良く考えるタイプで、それも一つのことを深くじっくり考える方で、簡単に言うと非常にめんどくさいタイプの子供だった。
世の中の流行には簡単に乗らない硬派を気取っていたが、案外影響されやすいところもあって、特に胸を打った小説や漫画にはすぐに感化されていた。
若い頃にはありがちだが、潔癖な一面もあったので、ズルいこと、卑怯な手段、弱い者いじめなどは虫唾が走るほど嫌いで、強く正しく美しい生き方をしたいと思っていた。
うわべだけ取り繕うみたいなことも、偽善も嫌。
自然体でしなやかに、楽に生きていきたいなどと小癪なことを考えていた。
(ちなみに今は、場合によっては偽善もアリだという大人の考え方にシフトしている)
無駄な力を抜いて楽に生きていくのが目的なのだから、美しさを取り繕うために疲れるのは本末転倒である。
自然体でありつつ、美しくあるにはどうすればいいのか。
自分の「自然な状態」を美しくする以外ないというのが私の出した結論だった。
自然体自体が美しいのであれば、自然体で生きるだけで自動的に美しく生きれるのだ。
なんという一石二鳥。
そんなこんなで、ある時は理想の女性をナウシカに定め、村の子供たちに「あら?私が嘘ついたことあった?」と言えるように、無駄な嘘を無くそうと努力した。
この「なるべく嘘はつかないで生きていこう」というのは今でも私の行動指針となっている。
元来私は嘘をつくのが上手い方ではない。
それゆえ一度嘘をつくと、それがばれないように常にヒヤヒヤしていなくちゃならず精神衛生上非常に宜しくない。多少なりとも後ろ暗い感情も抱えてしまう。
長期間胸にモヤモヤを抱えることと、一時的に自分に不利益があっても正直でいることを天秤にかけた場合、圧倒的に後者の方が生きやすいことに気づいて以降、出来るだけ無駄な嘘はつかずに生きている。
大抵の場合正直にあっけらかんと「ごめん!やっちゃった!」とカミングアウトすれば大ごとにはならないものだ。
それどころか、その正直さにむしろ好感を持たれることも多く、なんだか意図せず得をしたことが何度もある。ラッキー!
とはいえ、くだらない嘘は昔から大好きだ。
「知ってる!?武富士(今はなき消費者金融会社)のCMでレオタード着て踊りまくってる女の人たち、借金をかたに連れて来られた人たちなんだって!」
これで3人騙した。
また、ある時は、ガラスの仮面の劇中劇で主人公マヤが演じる「二人の王女」のアルディス姫の心の美しさと芯の強さに感化されまくって、美しく生きるための指針となる「アルディス15条」を制定した。
正直内容は覚えていないが、多分「いつも笑顔でいる」だとか「陰口を言わない」だとか「姿勢を良くする」「弱い者いじめをしない」だとかの、大小様々な厳しい掟を己に課した。
それをノートに綴り、丁寧に切り取り、常に制服のポケットに忍ばせていたような気がする。
中学時代は思春期と重なるがゆえ、男子も女子も非常に心が不安定で荒れる時期。
私もご多分に漏れず仲良しグループで日々小競り合いや、喧嘩、仲間外れをしたり、されたりを繰り返していた。
そんな中出会ったアルディスイズム(今名付けた)によっていち早く正気を取り戻した私はそこからすぱっと不毛な諍いをやめた。
「仲良し」だから一緒にいるはずのメンバーと虐め合いを繰り返してるってなに?それもはや仲良しじゃない…
誰かを虐めるくらいなら、その輪から出て行けばいいし、虐められたなら無理してそこに留まる必要なんかないではないか。
不思議なことに、グループの中の誰か一人が正気を取り戻すと、次第にそれはグループ全体に波及していって、あれだけ毎日拗れていた関係性が急激に風通しの良いものになった。
ま、今思うとあのいざこざドロドロも一つの成長の過程だったのかもしれないが。
そんな子供時代の血のにじむような努力の果てに、今の私がいる。
今朝私は息子にTVのリモコンで頭部をしたたかに殴られ目覚めた。
衝撃でリモコンの単三電池がふっとんでいた。
「痛てぇっ!!くそがっ!!!」
そう叫びながら瞬時に飛び起きた。
いいですか、みなさん。
平日の疲れを癒そうと、土曜日の朝いつもよりリラックスをした状態で惰眠を貪っていた私は、突然信頼していた者から裏切られ、頭部へ激しい攻撃を受けたのです。
え…?何が起きたの…?
ポカン…
でもなく、
「いたたたたっ…」
と蹲るでもなく、
怒りと闘志に溢れる台詞を吐きながら、瞬時に敵襲に備えたのです。
まさにこれは、私の求めていたしなやかな野生ではありませんか。
私は今のこの出来栄えの自分がとても好きだ。
ちなみに、最近ファブルと東京卍リベンジャーズにはまっているため口が悪くなっているのも私らしい。
本音を言えは、息子に引っかかれた時、かみつかれた時には慈愛に満ちたまなざしで「怖くない…怯えていただけなんだよね?」と言える方向へ進化していたかったが、どっちかと言えば今は野性の方が強く出ている。
人はそれを望めば、死ぬまで変化し続けられる生き物である。
私もあと10年もしたら、今度こそナウシカ・アルディス方面に進化を遂げているかもしれない。
無駄な体の力を抜いて、自然体でしなやかに。
この一筋縄ではいかない人生を一番楽に、楽しく歩いていくためにも、私はこの道を突き進んで行く。