誕生日には雨が降っていた
7月6日は息子の6歳の誕生日であった。
6年前のその日は、九州で災害級の大雨が降っていた。
お医者さんたちの業務用スマホからたたましい警戒アラート音がひっきりなし鳴り続ける中、何とも心もとないふにゃふにゃしい産声でこの世に誕生した我が子が、先日無事に6歳を迎えることが出来た。
つい先日の定期健診では、ちょっとだけ心配していた甲状腺の数値も問題なく今のところ至極健康。
101センチ16キロの堂々とした体躯の我が子である。
感慨深いなぁ。
よくぞ元気にこの日を迎えてくれた。
子どもを産んで再認識したことの一つに、誕生日という一日の清らかさ、尊さがある。
私の母は、今でも私の誕生日に毎年決まったメッセージを送ってくれる。
「誕生日おめでとう。〇年前の10時20分頃にたいたいちゃんは生まれました。小雨の降る日でした。」
言い回しこそ毎年少しずつ違うが、内容はいつも一緒だ。
おそらく母には毎年同じ内容のメッセージを送っている自覚はない。
娘の誕生日、きっと母の心は毎年、私が生まれた日の朝に戻り、毎回新鮮な気持ちで同じ文章をポチポチ入力し娘に送っているのだろうと思う。
「あの日は小雨が降っていました。」
小さい頃から事あるごとに聞かされ続けたせいで、もはやそれは自分自身が体験した記憶のような気さえする。
息子の誕生日前夜、すうすうと眠る息子を見下ろしていると、私の心もいつしか息子が誕生した日に舞い戻る。
外は嵐。
緊急帝王切開で息子を生んだ日、色々なものを見て様々なことを感じたはずなのに、何故か思い出すのはすさまじい豪雨と警報の音だ。
夜更けの手術台。お医者さんの肩越しに壁掛け時計を見つめながら、処置が長引けば誕生日が七夕になるかもしれないなぁ、などと妙に呑気なことを考えていたこと。
きっと将来私も母のように、ゆっくり成長してゆく息子に毎年7月6日は同じ話を聞かせることになるのだろう。
息子の誕生日。それは、普段不平不満ばかり言っている私が、妙に敬虔な気持ちで、息子と息子を取り巻く環境、それに神様めいたものに深い感謝を捧げたくなる清らかな一日。
一年365日、毎日が誰かの誕生日なのだと思うと、なんでもない一日がとてつもなく価値あるものに思えてくる。
誕生日おめでとう。
何でもない日もおめでとう。
ということで、私は連用日記をつけることにした。
つる・るるるさんの記事を読んだことがきっかけ。
ネットで注文していた日記帳が偶然にも息子の誕生日に届いたので、7月6日からスタートすることにした。
3年連用か5年連用で迷ったが、ちょっと欲張って5年連用日記を購入した。
特別な日だけではなく、何でもない日に起きたこと、思ったことをメモ書き程度に書き記していくつもりだ。
連用日記の醍醐味は2年目以降からだろうと思われる。
子供が寝たあと、過去の同日、何をしたのか、何を思ったのか懐かしく振り返りながら短い文章を綴る。
何でもない〇月〇日が2年3年と1ページ上に積み重なることで、やがて「なんでもないけど素晴らしかった1日」に緩やかに変化していく。
一年のほとんどは何でもない日の集まりだが、もちろん同じ日は一日としてない。
365日×5年分私はなんでもない日常について自由に、時に惰性で書き綴っていくだろう。
だけど、きっと来年も再来年も5年後も日記帳の最初のページには同じ内容が綴られていくに違いない。
「福太郎がもう〇歳!信じられない。誕生日おめでとう。元気でいてくれてありがとう」
願わくばこの日だけは同じ内容を末永く綴り続けたい。