消えた2代目と戻ってきた初代
睡眠科学(上等なパジャマ)のズボンにおけるお尻部分破けた問題がこの度ようやく解決に至った。
私が愛してやまないワコールの睡眠科学。
肌の上をすべる上質な布の柔らかさ、体に寄り添う立体裁断。
特に両肩、両脚の付け根部分の解放感、しがらみのなさは脅威的だ。
中国雑技団のあの動きだって、
この動きだって、
人の繰り出すどんな無茶な動きにも余裕綽々で対応してくれる懐の深さには感動を覚える。
ワコールからの、職人からの、木綿農家からの、眠りを愛する全ての民への海より深い愛情である。
そんなパジャマのズボンが破けた。
リモートワークをいいことに、朝から晩まで四六時中着倒したためである。
初めはお尻部分に数センチの亀裂が入っただけだった。
この程度、と甘く見積もり着用し続けた私が悪かった。
睡眠科学の柔らかい布の特性を見誤ったのだ。
上着の裾で隠せていた亀裂はみるみるうちに広がり、もうどうやったって取り繕えないところまで来た。
お尻の亀裂は縦方向に15㎝近くとなり、もう逃げも隠れもしませんぜ!旦那!といった風情だ。
このままでは早晩ズボンがズボンであることを放棄し、ただの布切れに還ってしまう。
木綿が布となり、布がズボンになる。
そしていつの日かズボンは再び布へ還る。
それなんてSDGs?
ダメだ!本当にズボンが空中分解してしまう!
焦った私はええい!ままよ!1万円札を2枚たたきつけ、新たな睡眠科学パジャマを購入した。
過重労働を強いられてきた初代はようやく安らかに眠ることが出来る。
2代目はデザインにもこだわり、襟に白い縁取りのあるネイビーのパジャマを選んだ。(初代はとにかく性能重視でデザインは度外視していた)
よおし!2代目を着倒すぞ!
そう思った矢先、2代目の、よりによってズボンの方が行方をくらました。
我が家で初代と対面し、自分の未来を悲観したのだろうか。
なんせ4世代同居家族である。
洗濯物は定期的にどこか別の誰かの元へ紛れこむ。
私は義母、義父、祖母、そして夫に泣きつき助けを求めた。
初代のお尻事情に精通していた彼らの全面協力により、我々はネズミ一匹逃さない強力な包囲網を敷いたが、不思議なことに2代目が帰ってくることはなかった。
無理だ。
この短期スパンで3代目を購入するなんて、財政的に困難だ。
だが、もう私の身体は睡眠科学以外では満足できない身体となってしまった。
絶望だ。
最後の望みをかけ、実家帰省の折私は初代の、ただの布に戻りかけているズボンを両親に差し出した。
「なんとか…ならんもんだろうか…」
あわよくば同情した両親に3代目を買ってもらおうなんて邪なことは考えていな…かったかどうか今になっては分からない。
ぐったりと横たわるズボンを目にし、母は痛ましげに私と布、いやズボンに目を向けた。
「これは…」
母はそう絶句した後、父を見つめた。
重々しい口調で父は言った。
「期待はするなよ」
我が家ではいつのころからか、不器用な母に代わり、繕い物は父の担当となっていた。
熊のような大きな体を丸め、チクチクチクと長い時間をかけ父は初代と向き合った。
西日が差してきたころ、父は大きなため息をひとつ付き、体をゆっくり伸ばすと私に初代を差し出した。
「どうや?」
漁師の息子であり、少年時代は船を作る仕事を夢に見、そして家族を支えるために公務員となった昭和の九州男児である父。
父は一体誰に針仕事を教わったのだ。
私が感動に打ち震えている傍で、母の「すごーーい!さすがパパー!」という能天気な声が遠く聞こえた。
初代が戻ってきた!
危うくぼろ布に還りそうになっていた私の睡眠科学が戻ってきた!
今私は、初代をまるで壊れやすいガラス細工のように大切に扱っている。
もう二度とお前を離さない。壊さない。
初代のズボンを着用するのは寝る寸前だけという厳しいルールを己に課しそれを忠実に守ることで今も私は初代の劣化を最小限にくい止めている。
次のボーナスで3代目を購入し、初代には永の暇を告げたい。
今度こそ、お気楽な隠居生活を楽しんでほしい。
その時が来るまであと少し、私をその優しさで包みこんで愛し支えて。スイートドリームス。
なんだかもう、色んな意味で初代は一生捨てられる気がしない。
サポートいただけたら、美味しいドリップコーヒー購入資金とさせていただきます!夫のカツラ資金はもう不要(笑)