秋、混沌とする気持ちをただ吐き出してみる回
学生時代は、大学でも普段の生活の中でも、摂取した分アウトプットをする機会があった。混沌とした気持ちを纏める場所を持っていた。何かと、文字に書き起こしたり、当時はダンスをしていたので踊ることを通じて、インプットしたものを吐き出す機会があった。社会人になると、インプットの量は少し減ったな、ぐらいであるのに対し、アウトプットする機会は全くといっていいほどなくなった。時々綴るこの場所と、Twitterぐらいなものである。
季節に忠実な私は、秋になると、面白いほど見事に読書の秋、食欲の秋、芸術の秋を過ごす。本を読み、美味しいものを食べ、映画や舞台、ドラマなんかをやたらと見る。音楽を聴くことをとっても、かなり深く聞きこんでしまう。
あまりの摂取量の多さに、溺れそうになっている。そうすると、やはり人間摂取した分、何かは溜まっていくらしい。ざわざわとした心持になる。ぐるぐる、ざわざわ、ざらざら、じとじと。混沌と混ざりあったそれに、引きずりこまれそうになる。息ができない、と思う。でも、この重たく沈む何かと対峙しなくては、と思う。この何かを抱えたまま誰かに会ってしまうと、話してしまうと、その純度は損なわれてしまう、と思う。焦る。何かに吐き出しておかなくては、と焦る。少し何か別のものに触れるだけで、すぐに形を変えてしまうような感覚になる。
吐き出そうとするけれど、うまくいかない。形にならない。忙しなく流されてしまう生活の中で、他人が作ったそれらしきものを代用することで、満足しようとする。それがまた苦しい。悔しい。猛烈な嫉妬に駆られる。こんなに湿度のある重たいものを持っているのに、吐き出されぬまま、強烈に乾く。渇く。また焦る。渇いているから、また飲み込む。消化不良を起こしてにっちもさっちもいかなくなってしまったのが今。
底にたまっているのが、嫉妬だとわかる。才能への嫉妬。すずめの戸締りを見た。ショウ・マスト・ゴーオンを観た。エルピスを見た。Netflixで放送されている「初恋 Firstlove」を見て、宇多田ヒカルを聞いた。Aマッソ加納ちゃんの本を読んだ。その結果、底に沈んだのは嫉妬なんだと思う。
何か形に残したい、と、小説を書こうと思った。筆は進まなかった。始めた物語を終わらせるだけの才能がない。
アウトプットはインプット量に比例すると聞くから、終わらせるために、またインプットを始める。嫉妬が膨らむ。きっとこの秋よりも前の、これまで飲み込んできた数々の出会えてよかった作品たちのときも、こうやって嫉妬が溜まっていっていたんだな、と思う。その上澄みが、尊敬とか敬愛とか希望とか夢とかになっていただけで、沈殿した最も重たい感情は嫉妬だったわけです。なんか、拍子抜けしたよね。なんだよ。ただの人生すぎる。なんにもならない、ままならない。物足りなくて、みっともない。もっと、誰かにどう見られるかなんて気にしてられないわ、みたいなセリフ吐きたかったのに。誰かに嫉妬されるようなものを作り出せる人たちに、なりたかったんだなって思った。
今回はもう滾々とただ思うままに書いて公開したい。多分する。下書き保存に、嫉妬たちが蠢いているので、これ以上溜めたくないから。