スリー・ビルボード
“スリー”なんだから、”ビルボーズ”にすればいいんだけれども、なぜか日本語だと”スリー・ビルボード”のほうがしっくりきちゃう。カタカナ英語は不思議です。(因みに原題は、"Three Billboards Outside Ebbing, Missouri"で、看板がある場所がそのままタイトルになっています)
さて、映画を見終わってまず、「脚本書いた人すごい!」って思いました。こんな突拍子もない展開、よく思いついたな!って感じです。「えっそれやっちゃって、警察に捕まらないの?バレないの?いや、そもそもの警察がアレだからいいのか…?」みたいな、ちょっと信じられない出来事が続きます。それでも、映画の世界観から覚めることなく没頭できたのは、脚本の中の荒唐無稽な部分と現実的な部分のバランスが絶妙だから(例えば時代背景をあいまいにしているのもそのバランスを保つためかと思います)、そして何よりも俳優の演技がすばらしかったからでしょう。
出てくる俳優、全員めっちゃいいです!言うまでもなく、アカデミー賞主演女優賞を獲得した主役のフランシス・マクドーマンドはすごい。こんなにバンダナが似合う人、いますか?アメリカのパッとしない田舎町の怒れるシングルマザー、にしか見えません。そして、役作りのために太っただけでなく、腹回りにパッドも入れて撮影に挑んだサム・ロックウェルのダメ警官っぷりもすばらしい。元夫の19歳の彼女の、空気の読めない感も最高です。出番は少ないですが、かなりおいしい役どころ。
この映画を見て、2つのことを考えました。
1つ目は、現実生活でもそうですけど、1人の人間を”悪い奴は悪い奴、いい人はいい人”、って決めつけることは、絶対に不可能だということ。誰かにとっていい人でも、誰かにとって悪い人だったりする。いい人が悪い人に変わることもあるでしょうし、その逆も然り。だから、誰かを徹底的に嫌いになったり、盲目的に好きになることは、ものすごくリスキーなことかもしれない、と思いました。
2つ目は、近い人を亡くした時に、怒りの矛先を誰に向ければいいのか、ということ。「怒りは怒りを来す」というキーワードが出てきますが、頭では分かっていても自分が当事者になると、そうは割り切れないもの。必ず誰かを責めたくなるし、同等の制裁を与えたいと思うでしょう。でも、果たしてそれで報われるのか、気が晴れるのか。復讐をやり遂げたあとに、何が残るのか…。結局、誰かへの怒りで傷を癒やすことはできないのだ、という答えをゆるやかに導いてくれる作品でした。
フランシス・マクドーマンド演じる主人公のミルドレッドは、映画を通して、ずっと怒っています。絶対に笑いません。そんな彼女が一度だけ笑顔になる時があって、彼女を笑顔にさせる人物がまた意外な人物で…。
非常に激しい映画です。激しい映画ですが、見終わったあとに、何ともいえない静かな癒しの瞬間が訪れました。