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キルギスからの便り(30)戦勝記念日

2022年5月5日

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が続くなか、プーチン大統領が5月9日の戦勝記念日にどのように振舞うか、耳目を集めている。ここでいう「戦勝」とは、ロシアで「大祖国戦争」と呼ばれている対独戦で、1945年に ナチス・ドイツが降伏しソ連が勝利したことを指す。旧ソ連に属していた中央アジア各地からも兵士が送られたことから、キルギスでもこの日は祝日だ。

 第二次世界大戦で敗戦国となって以降の日本人にとって、「戦勝」を記念する祝日の存在、そしてその日に「国民の愛国心が高まる」などと伝えられるロシアの世情は理解しがたい。

 私はロシアでの戦勝記念日のありようは知らないが、旧ソ連のキルギスで経験した戦勝記念日の様子について、少しお伝えしたい。

国防色の帽子をかぶって踊る児童たち

 年度内の授業も残り1か月をきった5月の上旬、学校の階段の壁には、戦勝記念日を祝して児童たちの描いた絵が飾られていた。子どもの絵は普通、下手でも上手でもほほえましいものだが、その時ばかりは絵を前にしてにこやかにはなれなかった。描かれていたのが戦車や大砲、兵士だったからだ。

 9日は学校が休みのため前日8日の午前中に、授業3時限分を割いて、全校あげての記念行事が行われた。児童・生徒の多くは式典用の洋服を着て登校し、りんごの菓子パンの朝食を食べた後、校舎裏に集合して列をなした。プラカードを掲げ、色とりどりの風船を持って行進を始めた。

 一体どこへ向かうのかと思ったら、学校のすぐ隣にある小さな広場だった。大祖国戦争の犠牲者を悼み、1941‐1945と記された像が建てられている場所だ。普段多くの人は気にかけることもなく、ただの空き地であるかのようにその前を通り過ぎているが、戦勝記念日には重要な地になるのだろう。

 この場所はとても狭くて名前もついていないけれど、もう少し離れた住宅街や首都ビシュケク市内には「勝利公園」や「勝利広場」と名付けられた公園がいくつかあり、散歩をすれば普段からおのずと戦争を記念した碑や銅像が目に入ってくる。

学校の隣の大祖国戦争記念碑の前に整列する児童と教員たち

 行進が終わり、像の前に全員が並ぶと献花が行われた。程なくして子どもたちは手に持った風船を一斉に宙に放った。晴れた青い空に赤や黄色の風船が流れていく。

 戦勝記念日の意味合いも、プラカードに書かれたロシア語も理解していなかった私の頭の中には「風船もひもも自然に分解される素材じゃないと環境問題になるのだろうな」などという、戦争の是非とも、記念行事の高揚とも、風船が空に描くきれいな光景ともかけ離れた、現実的な考えが浮かんでいるだけだった。

 行事はまだ続いた。むしろ学校へ戻ってからが本番という感じだった。玄関前広場に集まって、学年やクラス別で歌や踊りを披露するのだ。発表する子どもたちや教員の一部は軍服を思わせる国防色の帽子や上着を身に付けていた。数名の男性の顔写真を掲げながら何かのテーマについて発表している場面もあった。おそらく戦争の歴史やキルギスから戦地へ赴いた兵士について語っていたのだろう。幸か不幸か、ロシア語の世界に入って1年目の私には、歌や踊り、発表で語られている内容の意味がほとんど理解できなかったが、ひとつだけ分かる歌があった。

 以前にキルギスからの便り(13)で紹介した「カチューシャ」だ。この歌に合わせて女子児童がダンスをしていた。実はカチューシャの3番、4番の歌詞が戦地へ赴いた恋人の兵士について書かれていることから、この曲は当時のソ連兵の間で広く親しまれたという。だから戦勝記念日にカチューシャを歌い、踊ることがふさわしいのだろう。外国人の私にしてみれば、覚えやすいメロディーときれいな1、2番の歌詞が気に入っていて、戦争と結びついた曲だとは思えないのだが…。

 日本で児童と教員が国防色の衣装を着て、戦意発揚の歌を流す光景を前にすれば、大いにおどろくだろう。だが彼の地に身を置いていると、一部始終を学校行事の一環として淡々と受け入れ、違和感を抱くこともなかった。

旧ソ連の旗のもとに

 翌9日当日にビシュケクへ出かけると、この日を祝う姿を至る所で目にした。街の中心部へ向かう道でプラカードやソ連国旗を手にして歩く人々がいて、勝利広場には旗がいくつも立てられ、記念碑の前には多くの花が置かれていた。

 デパートや飲食店が集まる中心街の一角には、ソ連国旗のシンボルである鎌と槌のイラストと「大祖国戦争」の文字が描かれたステージが設置されていた。スピーカーから大きな音が流れ、ステージ上では大人や子どもが順番に歌を歌い、その様子を集まった大勢の市民が眺めていた。

戦勝記念日にビシュケク中心街に設けられたステージで歌などが披露され、大勢の市民が集まっていた

 現地の知り合いや教員に戦勝記念日に抱く思いを聞いた訳ではないので、個人の心情は分からない。戦死者を心から追悼する人、単なる休日ととらえる人、勝利を喜び続ける人、戦争反対を願う人などさまざまだろう。

 ただ一連の学校行事や街の様子を見る限り、社会的には戦勝記念日は盛大に祝う日ととらえられているようだった。日本の8月15日の終戦記念日が、色で言えば黒と白のモノトーンに包まれ、下を向いて目をつむる静かで厳かなイメージだとすれば、私が見たキルギスの5月9日の戦勝記念日は空に放たれた風船が象徴するように、人は上を向き、色はカラフルで賑やかだった。 

 戦勝記念日は旧ソ連諸国に限らず、欧米諸国にもある。困難な時を乗り越え、抑圧から解放されたのだから祝って当然なのであろう。

 しかし戦争とは、勝敗にかかわらず、それ自体が起こってはいけない。戦争の終結を記念する日が賑やかでも静かでもかまわないが、子どもたちが戦車や大砲を描き、国防色の衣装で踊るよりも、兵器や兵士のない世界を表現する日であってほしい。


 


 

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