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なぜヨーロッパの国境線は他の地域と比べて複雑なのか

今回は、なぜヨーロッパの国境線は他の地域と比べて複雑なのか、について話していきます。


1. 頻繁な戦争の歴史

ヨーロッパの国境線が複雑な大きな理由の1つは、この地域の長い歴史と頻繁な戦争にあります。ヨーロッパは古代から多くの民族が入り乱れ、国家の形成と再形成を繰り返してきました。

特に重要なのは、1648年のウェストファリア条約です。この条約で各国の自立を認めて相互干渉しない主権国家体制の原則が成立し、現代のヨーロッパ国家システムの基礎が作られました。

しかし、これで国境線がおおむね確定したわけではありません。むしろ、その後も数多くの戦争が起き、その度に国境線が引き直されたためさらに複雑化しました。

一例として、ドイツとフランスの間にあるアルザス・ロレーヌ地方では、19世紀から20世紀にかけて、何度も所属が変わりました。普仏戦争でドイツに、第一次世界大戦後にフランスに、第二次世界大戦中に再びドイツに、そして戦後またフランスに戻りました。

こうした歴史の積み重ねが、ヨーロッパの複雑な国境線を作り出した大きな要因となってます。

2. 言語・文化の多様性

2つ目の理由は、ヨーロッパの言語・文化の多様性です。ヨーロッパには多くの民族が住み、それぞれが独自の言語や文化を持っています。

ヨーロッパ地域だけでも言語の数は200以上あります。国家としてまとまるためには、同じ言語・文化を共有する人々が集まる必要があるため、ヨーロッパのように多様な言語・文化が存在する地域では、自然と国が多くできてしまい、結果として国境線が複雑になってしまいました。

3. 地理的要因

3つ目の理由は、ヨーロッパの地理的特徴です。ヨーロッパには、アルプス山脈やピレネー山脈といった大きな山脈があります。

また、ライン川やドナウ川のような大きな川も流れています。こうした地形が国境線として利用されることが多くありました。

スペインとフランスの間にあるピレネー山脈を例に挙げると、この山脈に沿って国境線が引かれています。山の稜線に沿って国境を引くと、どうしても入り組んだ形になってしまいます。こうした地形的要因が欧州各地であることも国境線の複雑化の一因となってます。

4. 政治的な要因

4つ目の理由は、政治的な要因です。ヨーロッパの国境線が複雑になるに至った政治的な要因としては「勢力均衡」と「民族自決」の2つの要素が関係しています。

「勢力均衡」という、どの国も突出した力を持たないように、バランスを取ろうとする考え方も一因となっています。例えば、ある国が強くなりすぎないように、周辺の小国を独立させるといったことが行われました。

20世紀に入ってからは、それぞれの民族が自分たちの国を持つべきだという「民族自決」という考え方が広まり、国土を分けるように新しい国が生まれていきました。例えば、第一次世界大戦後に解体されたオーストリア=ハンガリー帝国が解体されて生まれた、チェコスロバキアやユーゴスラビアが挙げられます。

5. 飛び地の存在

5つ目の理由は、飛び地の存在です。飛び地とは、ある国の領土が、別の国の中に孤立して存在している状態を指します。ヨーロッパには、こうした飛び地が多く存在します。

その典型的な例の1つとして有名なのが、オランダとベルギーの国境にあるバールレ=ナッサウという町です。この町では、国境線が入り組んでおり、道路を歩いているだけで何度も国境を越える必要があります。家の中を国境線が通っている家もあるほどです。このようになったのは、数百年前にこのあたりの土地を所有していた公爵が、土地をバラバラと人に譲渡したからです。

まとめ

現代では、EU(欧州連合)の存在によって国境の意味が変わってきています。シェンゲン協定に参加している国々の間では、パスポートなしで自由に行き来できるようになりました。

しかし、それでも複雑な国境線の名残は残っています。これらの国境線は、ヨーロッパの歴史と文化の象徴と言えるでしょう。ヨーロッパを旅行する機会があれば、ぜひこの複雑な国境線にも注目してみるとよいかもしれません。きっと、ヨーロッパの歴史や文化をより深く理解するきっかけになるはずです。

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