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四軒長屋のひとり暮らし

中学を卒業して家を出て、四軒長屋に住んでいた。
正確に言うと、わたしが家出して、長いこと友達の家に居候していたものだから、親が根負けして、ひとり暮らしを許してくれたというのが実情だったけど。

家賃8500円。6畳一間、台所付き。風呂・トイレは共同。
「8500円の家賃は親が払う。生活費は全て自分で。」というのが条件だったけど、時々、食料品の入った袋がドアのところにぶら下げられていて。所持金0でもとりあえず、飢え死にはしなくて済んだ。(笑)

玄関ドアを入ってすぐの小さな台所の奥に六畳の部屋があって。
部屋から裏の土間に出ると、共同のトイレと風呂に行くことができた。
トイレは汲み取りのぼっとん便所。
お風呂は旧式の古いガス給湯器で(利用したら、備え付けのメモ帳に名前を記載するようになっていた。)調子が悪く、湯沸しが大変で、所持金に余裕がある時には、銭湯に入りに行っていた。

古くて暗くて、お世辞にもきれいとは言えない部屋だったけど。
はじめてのひとり暮らし生活は、楽しかった。

音が筒抜けでプライバシーなど何もない長屋暮らし。
両隣の住人とは、すぐに仲良くなって、頻繁に行き来をしていた。

右となりのおばあちゃんは、少し耳が遠かった。
ラブホテルの掃除の仕事をしていて、いつも夕方になると仕事に出かけていった。ホテルのアメニティなどのおみやげと一緒に、いろいろな話をしてくれた。お風呂は仕事場で入ってくるから、共同風呂は使わないのと言っていた。
時々、子どもや孫から電話がかかってきて、大きな声で話をしていた。

左となりのお姉さんの部屋は、角部屋で他の部屋より広く、縁側があって明るく、いつもきれいにしていて居心地の良い部屋だった。(同じ長屋の部屋とは思えないくらい!)
病気で精神科に通院していて、生活保護を受けているのと話した。
創価学会やらエホバの証人やら、いろいろな宗教の人たちがよく来ていた。
時間があるとわたしも覗いて、たわいも無いお喋りをしていた。

わたしは、アルバイトを転々としながら、わずかな給料を稼いでは、仕事を辞めて生活苦に陥るといった繰り返しで、経済的にも精神的にも、不安定な生活だった。通信制の高校には在学していたけど、勉強どころではなく。毎日を生きていくことにせいいっぱいだったから。
面白いことも、怖いことも、わくわくなことも、ドキドキなことも。
いろいろな事件が日々起きて「事実は小説よりも奇なり」の連続の生活だった。(笑)

取り壊されて今は無い、四軒長屋の一室のひとり暮らし。
ひとりだけど、ひとりでない。不思議な距離感の生活の思い出。


催眠商法で布団を買ったおばあちゃんの話


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