私にとっての学習の本質とは。
💫
光のカーテン
この言葉を知ったのは
小学校四年生の頃の理科だった。
なんでこんなにもその時を
しっかり覚えていたのか…
きっとそれまでも
心惹かれて見ていたものに
初めて名前があるのを
知ったから、なのかな。
私は理科が好きだったわけではない。
単純に言葉に惹かれる。
かといって国語が好きだったわけでもない。
単純に言葉が好き。
何が言いたいかってさ。
それが好きだったら
「教科」という枠を飛び越えて、
勝手に自分の中に
蓄積されていくものなんだな。
だから私の中での
これまでの学習って
「言葉」という教科が基準だったんだ。
そこから派生させて
時に理科になり
時に国語になり
時に英語となり
時に社会となり
時に美術となり。
それを表現しないからって、
勝手にわからないだできないだ
そんな狭い枠で見なくてよかったんだ。
ほんとはそんな枠なんて
私も持ってなかったのにね。
「お母さん」って眼鏡をかけてたんだな。
好きなら好きっていうだけで
それはもう十分に伝わってることなんだ。
学習って点数で評価されるものじゃなく
ほんとはその人の感性で
表現されるもの、という気がしてる。
正解不正解なんかでくくれない、
そこに寄り添ってその子の世界を見ることは
至極の仕事、なのかもしれないよ。