育つ環境というのはやはり大事でして
教祖は小中高と公立です。
なので国家の犬ですね。
小中はなんてことない、ただの公立でした。
特に頭いいとかも何もない、ただの市立です。
中学はスラム街みたいなところに建っていたので治安が悪く、真面目に勉強したい人に適した地域とは言えないところです。
悪い自慢になるのも良くないのですが、近所のスーパーでカツアゲされたり、先生を怪我させて救急車などの話はよくあるような場所です。
市内にもっと荒れた学校があったみたいですけどね。
こういうのが武勇伝として流れてきてしまうような地域でして。
そんな環境で真面目に勉強するとダサいと言われます。
英語なんかは特に、真面目に綺麗に発音すると「何あの子……」みたいな目で見られたりとか。
そんな経験は皆さんにもあると思います。
正解すると「そんなの教祖しか知らないでしょ」ってヒソヒソされたりだとか、百人一首で本気出したらドン引きされたり。
いや、私の普段の行いもあるかもしれないですけど。
それでも良い高校を目指している勢力がある程度いましたので、その人たちと連んでなんとか乗り切った中学生活です。
ちなみに中学の席替えがかなり特殊でして、立候補した班長たちによるドラフト制でした。
怖いですね。
修学旅行は地獄です。
面白いのが、受験間近の三年生の席替えでは明らかに頭いい奴で固めた班が出てきます。
ドラフト制席替えは道徳的にグレーゾーンですけれど、受験直前なら意外とこのようなメリットがあります。
そうでもしないとまともに勉強できない環境とも言えますが。
そんなこんなで高校に合格して、環境が一変します。
高校にはある程度の選別を経て来ているわけですから、価値観が逆転して頭いい奴ほどカッコよくなるんです。
英語とか、自信満々にネイティブみたいな発音しても何も恥ずかしくないんですからね。
それでも中学で触れてしまった価値観というのはなかなか抜けないものです。
周りの人をダサいと思うつもりがなくても、自分が一生懸命やることに自信を持てません。
ここで頑張ったのを笑われたらどうしようと。
流石に三年間も通っていればガンガン切磋琢磨するぜ!と思えるようにはなります。
でも、頑張ることをダサいと思う人がいる、という経験はどこかで頭の中に残り続けます。
幼少であればあるほど、それは強くなります。
それを乗り切れる陽キャになれという試練だとしても逆効果になりそうですね。
環境のせいにするなと言っても限度はあるんです。
そんなところで。