1/28 休んだ日の日記
月曜日、仕事を休んだ。前日の夜からどうにも鬱々とした気持ちに支配されてはいたのだけれど。目覚ましのアラームに気づいても、今までのように「仕事に行かなきゃ!」という気持ちすら恐ろしいほど無い。体が動かない。
火曜日、今日も休んだ。昨日より頭ははっきりして、昨日夕方までほぼぶっ通しで寝たので体力は回復している気がする。目覚ましのアラームにも、彼が私の体調が悪いことに気がついてあえて起こさず声もかけずに仕事に出て行った優しさにも気づいているのに。
就業開始時間には仕事を休むと連絡できたのに。
この気力があれば仕事に行けたんじゃないのか、あのアラームに気づいた時点で布団から出られていたら行けただろう。今までもそうやって仕事に行っていただろう。
電話をしたらまたどうしようもなくなって、寝すぎて痛い体はまだ寝られる。
寝たら今日は12時半には目が覚めた。ほらやっぱり、午後の仕事には出られたんじゃないのか。とかいろいろ言葉が頭をぐるぐるするけれど、感情がない。こわい。
今までの自分ならそこで焦ったり不安に思ったり罪悪感を覚えたりしていたけれど、ほぼ何も感情を感じ取れないことがこわい。
明日のことを考える。明日の私も今日の私と同じような気がする。仕事はどうなるの?と考えてチラつく投げやりな「あ、死にたい」。
とりあえずこのままではダメだという気持ちだけはどこかにあって、以前主治医から「なんかあったら」と教えてもらっていたアドレスに初めてメールをした。病院に電話をして「辛いので今日予約を取りたい」と伝えればいいのに、あちらからそう言って貰うために仕向けて甘えている、と思う。
病院に行く。「今日の天気は悪いなあ」と言いながら主治医はいろいろ聞いてくれる。言葉に詰まる。結局私は今何がそんなに辛いのか。大きな原因は思いつかない。
明日から仕事に行かなきゃ行けないこと、行けないんじゃないのかと不安なこと、不安と抑鬱が漠然としすぎていて「死にたい」という言葉でしか最近の辛さが表現できないこと。
でも主治医には「死にたい」が増えている、とは言えなかった。とにかく私の診察は要領を得なかったと思う。
大きな要因があるわけじゃない。これまでにいくつかの精神的ストレスを乗り越えて対処スキルが少しずつ身についたからこそ、それでも拭えない抑鬱感が手詰まりな気がして、しんどい。
ストレスをコップの水に例えることがあるけれど、前は気づいたら決壊して時すでに遅しだったのが、今は管理体制の中で常に危険水位を保っている感じだ。決壊する前に予兆に気付いたり周りの誰かに助けを求めたり、水を少しずつ外に出したりして、対処能力で言えば今の方が高い気がするのに、それが追いつかない。一度、コップをひっくり返して水をぶちまけたい。そうもいかない。
根源的な話でいうと、子供期の家庭環境で培った対人能力で生きづらさを抱えている、と言われた。分かったところで、日々少しずつ溜まっていく水をどうにかすることに精一杯で、難しい。
今日もまた、コップの水はギリギリだけど、病院に行けた私は少しだけ水を捨てることができた。もしかしたら水は減っていないかもしれないけれど、揺ら揺ら不安定なコップをそっと支えてもらえた。
病院に来るよう言ってもらえてよかった。「今日はあまり考えすぎない」と言ってもらえてよかった。たしかに考えすぎて良くなることもない。
「明日気が変わって仕事に行けるかもしれない。」と言われた。気が変わるかもしれないという選択肢は私にはなかったから、ちょっとほっとした。
続くようなら診断書を書いて少しの間お休みする、という案もある。辛い時用のお薬を追加でもらった。困ったらまたいつでも連絡すればいいと言われた。
とりあえず、昼までの私より選択肢の増えた私は少しだけほっとしている。