ENFPと大揉めした時の話
※人物特定を防ぐため、大筋が変わらない程度の多少のアレンジをしています。
※私には大好きなENFPの友人もいますので…どうかENFPの皆様…気を悪くしないでください…( ; ; )
およそ2年前のことになるだろうか。
夫との共通の友人、Yちゃんのインスタが私のおすすめ欄に出てきた。
妙だった。
Yちゃんと私は相互フォローのはず。
まるでお互いに一度もフォローなどしたことないかのように、共通の知り合いが多いと出てくるおすすめアカウントの欄にYちゃんのアカウントが出てきた。
いわゆる“ブロック解除”(以下ブロ解)をされたのだ。
最後にYちゃんと話した時のことを振り返って考えてみた。何か彼女の気に触るようなことを言っただろうかと。
こういうことは私にとってよくあることである。
長年「私」をやってきたのだから、あまり人の気持ちを理解できないことは自覚している。きっと何かが気に障ったのだろうと思う。
しかし考えど考えど何も思い当たらなかった。
しかも厄介なことに、彼女とは今後も会う予定があった。夫も私も彼女も同じ社会人サークルに所属しているからだ。
正直なところ、どれだけ嫌いな人間でも私なら同じコミュニティに居続けるのであればわかりやすく敵対するような行動はまずしない。
どうしても嫌ならそのコミュニティから出るか、本人に直接言う。そのどちらもできないならあまり近づかないようにして波風を立てないようにする。そうでないとサークルクラッシャーになりかねないと思うからだ。
どんな理由があれ、同じサークル内の友人をブロ解したことはいずれ周りに気づかれる可能性があるだろう。そうしたら周りの方が私たちに気を使うのではないだろうか。それより何よりブロ解したことにより相手と気まずくなることを懸念する。そのサークルに居続けると決めたのなら苦手な相手でも同じコミュニティにいる以上は何かしらで今後も接する可能性があるからだ。
さて、私もこれを無視して何も知らないふりをして同じサークル内で活動をすることは難しい。
あまり聞きたいものではないが、意を決して本人に連絡してみた。
そうするとえらく長い返信が返ってきた。
これでもかなり簡略化しており、実際の返信はこの続きには今後の私に対するアドバイスのようなものまで付け加えられていて、この2倍どころではない文章量だった。
正直なところ、私はこれを読んだとき、「何を言ってるんだ?」という気持ちだった。
2年近く経つ今読み返すとより一層その気持ちは増して感じる。
言葉がキツいというのは理解したし、それは人それぞれそう思う人はそう思うだろうしそう思わない人はそう思わないだろう。
あくまでも自分視点でしかわからないので、相手がどう受け取るかなんて結局は想像でしかわからないのだ。
だから、「人がどう感じるか」だけは否定してはいけないと思う。人がどう感じるかは心という目に見えないところにある以上、客観的な事実として独立していないからだ。
私側の事実が「そんなつもりで言ったわけじゃない」だとしても、彼女が「傷ついた」というならそれは彼女側の事実なのだから否定できない。
それが、人の感情への共感が苦手な私が大人になるまでにたどり着いた感情型への理解であり私の気持ちへの対処法である。
だから私は彼女の「傷ついた」に対しては素直に謝ろうと思ったのだ。もちろん私は彼女を傷つけようと思って言ったわけではないし、彼女が傷ついたという見た目のことに関しても超フラットな気持ちで聞いているが、それについてはここで述べる必要はないと思った。私がどんなつもりで言ったかなど彼女にとってはどうでもいいことだ。
(ちなみに彼女の彼氏はオーストラリア人である。私自身見た目から好きになることを悪とも思っていなければ、むしろ外国の方なのだからその青い目やブロンドの髪に惹かれたのかしら?と思うことは自然な質問だった。)
だから私の引っかかる点はそこではなかった。
彼女の意見はとても「自分軸」で「想像的」なのだ。
…いや、言葉を選ばずに言うなら、「自己中心的妄想」である。
見た目が好きなのかと聞かれただけで、見た目から好きになることへのネガティブな問いかけだと考え
さらにはそこから派生して「この人は私の考えを否定している」と思い
その上で「他の人も傷つくからそういうのやめた方がいいよ」という他人の気持ちをあたかも代弁したかのようなアドバイスをする
何をとってもそれは私の言葉による客観的事実ではなく、彼女自身の想像を含んだ発言である。しかもその想像で膨らんだだけの中身にさらに傷ついてブロ解までするのだから相当である。
彼女が「傷ついた」と言うことには申し訳ないと思えるのだが、
周りの人の気持ちを汲み取ったかのようなアドバイスをする彼女からは私の気持ちや発言の意図に対しては、彼女が感じるのと同じようには理解していないように思えた。自分の感情には非常に敏感なのに相手の感情については度外視していると言える。
そもそも私はTげきつよのかなり論理優先な人間なので、通常べつに自分に共感してほしいとは思っていないのだが、なにより共感を求める人間が相手のそれには鈍感であるというところの矛盾が私には全くもって理解不能だった。
これを受けてなんと返信しようと考えあぐねたが、そもそも私の疑問は「なぜブロ解したのか」だったので、もう少しヒアリングしたいと思った。
理由についてはよくわかったが、同じコミュニティにいるのだから、なぜ今後気まずくなるような行動を取ってしまうのかが私にはよくわからなかった。
傷つけてしまって申し訳ないと、まずは自分の非についてのみ謝罪した上で、会って話をしましょうと言い、後日会うことになった。
後日の話し合いでわかったことは、今回のブロ解はこれまたあまりにも私では絶対に発想にない考えからの行動であったということだった。
長くなるので割愛するが、端的に言うと「ブロ解くらいしないとあなたには理解してもらえないと思ったからそうした」らしい。
えっと、つまり「察しろ」ってこと?
そう聞くと、その通りだと言う。
なんかものすごく疲れた。
もし私がそれについて言及しなければ今も平然と何事もなかったかのように接するつもりだったらしい。いつか私がそれに気づいて、変わってくれますようにと、そう願ってのブロ解だったという。
そしてやはり発言にはアドバイスが多かった。
彼女はやはり、私がなぜ、どんな気持ちで、どんな意味で、発言したり会話したりしているのかについてはまったく持って知ろうとはしなかった。
それなのに「こういうのやめたほうがいいよ」みたいなアドバイスをするのだ。こちらからすればその発言こそブーメランである。
私はもうこれ以上彼女について考えるのをやめようと思った。
わかった。
傷つけてしまってごめんね。
私はそんなつもりで発言したわけではないということ、それとあなたは「否定された」と言ってるけど私はあなたの考えを否定したことは事実として一度もないということ、それは知っていてほしい。
ただそれもすべてそう思わせるような発言をしてしまったんだよね。ごめんね。
それでこの話し合いは幕を閉じた。
…はずだった。
次のnoteに続く…