日本人がミャンマーのデモに参加して感じたこと
本日2021年2月22日、ミャンマー全土で行われた国軍クーデターに反対する民主化デモに参加してきました。
コロナ禍と政情不安から、在ミャンマー日本大使館より在留邦人に対して外出を控えるよう呼びかけられているため、批判は当然あると思いますし、この記事はデモへの参加を推奨するものではありません。
それでも、日々状況が悪化していく中で 過去最大規模のデモが呼びかけられた今日、最悪の事態が起こった時に「こうだったらしい」ではなく自分の目で「こうだった」と発信したいと思い、街に出ました。
幸いなことに午後9時現在で大きな衝突があったというニュースは耳にしていません。これは国際社会の、あなたの目が向けられていたからだと信じています。
このnoteで伝えたいことは以下の2点です。
1. デモはこれ以上ないほど平和的に行われていた
2. まだ誰も諦めていない。外部だからこそ応援したい。
デモが”暴徒化する”とはどういうことか
今日自分が見たデモがどの程度平和的だったのか?を考えるにあたって、いわゆる「暴徒化したデモ」の例を見てみたいと思います。
1. アメリカ:Black Lives Matter
2. フランス:黄色いベスト運動
3. 香港:2020年香港民主化デモ
上記は記憶に新しい一例ですが、以下のような事象を持って”暴徒化した”と言えそうです。
・警官への先制攻撃
・建物の破壊/放火
・店舗への略奪行為
(もちろん上記の例においても大部分は平和的に行われたことと思います)
ミャンマー:ヤンゴンのデモの様子
今日私が参加したのは最大都市ヤンゴンで行われたデモです。主に3カ所周り、自分が見た範囲の中で言えば、上に挙げたような行為が起こることを想像すらできませんでした。
ヤンゴン市内にはいくつかデモ隊の中心地があり、それらの「中央」ではメディアに切り抜かれるような高い熱量の抗議活動が行われています。爆発的なエネルギーを感じる一方でそれらは高度に統率されており、歌やシュプレヒコールがまるでプログラムが組まれているかのように繰り返されます。その中に暴力の入る余地はないように見受けられました。
一方でそこから一歩外れた「周辺」では
・バンド演奏やコスプレなど、クリエイティブな抗議活動
・無料で飲み物や食べ物を配るボランティア
・ゴミを回収して回る人々
・Tシャツやハチマキ、帽子などを売る露店
・救急車や救護テントなどの医療設備
などなどが並び、緊張というよりは賑やかな雰囲気さえあります。
デモに参加している人たちは、中央と周辺を行き来しながら、また離れた中心地を渡り歩きながら流動的に参加している人が多いように見えました。
また移動中も、家の前で水を手渡す人や車で移動しながら飲み物を配る人など、随所でサポートに回る人の存在を感じます。
熱狂的な渦のすぐ隣に休息所があり、道すがら買い食いする様は、さながら音楽フェスの様でもありました。いい意味で熱量にグラデーションがあり、若者やスーチー氏の熱烈な支持者などに留まらない国民的ムーブメントになっていることを感じます。この中にあって、放火や破壊、略奪行為に傾く兆しを、どうしても見つけられませんでした。
唯一身の危険を感じたのは、軍の存在を感じたとき
大通りから少し外れ、人通りの少ない道を1人徒歩で移動していた際に、軍の装甲車とすれ違いました。装甲車3台、兵士を載せたトラック5台、先導するジープ2台の編成です。
軍が装甲車や武装した兵士を展開していることは勿論知っていましたし、自分なりに万が一の事態も覚悟していたつもりでした。
ただそれは、頭では理解できない類いのものだったのだと痛感します。
ゆっくり通り過ぎる装甲車とすれ違う瞬間の、生物としての生存本能が全力でアラートを出している感覚。
動悸が早い、息が吸えない、視線を上げられない。
時間にして1分弱だったと思います。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、明確に「死」を意識した瞬間でした。
デモ隊が対峙しているもの
その後デモ隊に合流したところで、再度同じ編成の部隊とすれ違います。
直前の身体感覚がフラッシュバックしましたが、周りのミャンマー人たちはまっすぐ装甲車を見つめ、黙って3本指を掲げます。
(3本指を掲げるポーズは軍への抵抗を示す)
彼らは相手の武力が脅しではなく、実際に自分たちに銃を向け、実弾を発砲できることを知っています。
それでもこの圧倒的暴力を前に、正面から丸腰で対峙し、撃たれたら逃げ、また目の前に座り込む行為を、毎日繰り返している人々がいます。
そしてそれは、私が4年半暮らしたこの国で共に笑い合った友人であり、我が子の未来を案じる親であり、何の軍事訓練も受けていない一般市民です。
この3週間ニュースで目にしていた
「武装した軍が非武装の市民に対して発砲し、複数名が死傷した」
という文字から読み取れる情報とのどうしようもない隔絶を、やはり文字で伝えることができません。
まだ誰も諦めていない。
ミャンマーの状況は、とても厳しいものです。
圧倒的な軍事力を持ち、国際世論をまともに取り合わない国軍が力によって掌握した実権を民衆の手に取り戻す道は、限りなく絶望的に見えます。
するとどうしても、デモやストライキを「悲痛な叫び」のように報道・捉えてしまいがちですが、私が現地で感じたのは悲観ではなく、純粋な怒りと不退転の覚悟、そして楽観的とも思えるほどの未来への希望でした。
特にビジネスをしに来ている外国人の立場から、勝ち目の薄い戦いのために経済を止めることも厭わない市民の抵抗に対して、複雑な感情を抱くのは無理のないことだと思います。
だからこそ、「どうせ無理だ」ではなく「できる!どうやろう?」を一緒に考えて頂ける方が、1人でも多く声を上げることを願っています。
その声が、今過酷な状況にある人たちに勇気をもたらすかもしれない。より多くの目が集まることで、軍の横暴にブレーキをかけることができるかもしれない。もしかしたら本当にその中から、現状を打破するアイデアが生まれるかもしれない。
外野が勝手に悲観的になるのではなく、無理を通そうと全力で声を上げている友人たちを、100%信じて背中を押す存在でありたい。
“The people who are crazy enough to think they can change the world are the ones who do.”
- Steve Jobs
Who are you to judge?
自戒を込めて。
ミャンマーの現状に興味を持って頂けたら
大切な友人が既にまとめてくれているので、そのままシェアします。
もとの投稿はこちらから。
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2021年2月1日、ミャンマーで国軍がクーデターを起こし、アウンサンスーチー国家顧問、ウィンミン大統領をはじめとする現政権の幹部が拘束された。それがどういうことなのか、概要はこちらのイラストがわかりやすい。
より多角的な背景の分析は工藤年博先生の論考や朝日新聞論座の記事が示唆に富んでおり、クーデター発生後の経過は長田紀之先生のレポートに詳しい。一般市民に対する軍の武力行使は絶対に許されるべきではないが、軍には軍の言い分があり、政権強奪に至った背景がある。
文字より動画が得意な人は、こちらの1分半の動画を見てほしい。きっと想いが伝わると思う。
日本にいるミャンマー人たちの抗議活動を見かけることがあったら、この記事を思い出してくれたら嬉しい。私たちは皆それぞれの事情によって切実であり、それはそれぞれに尊重されるべきものだ。
「国際社会」を構成する最小単位はいつだって個人だ。たった一人の小さな声が変化を起こすと信じることこそが、民主主義だったはずだ。
[ 追記 ] - 2/21 21:42 JST
Change.orgで署名活動が始まりました。是非お読みいただき、賛同いただけたらご協力をお願いします。
免責
最後に、このnoteの投稿内容は私個人の意見であり、過去・現在の所属企業・団体の見解を代表するものではないこと、事前に了承を得た行動ではないことを申し添えておきます。
追記:デモには参加しないでください!
本日2月25日朝、大使館職員の方から直接電話でご連絡頂き、改めて大使館としてデモに参加しないよう勧告を受けました。
この場を借りて、事前の再三に渡る勧告を顧みずに様々なリスクを冒してデモに参加したこと、緊急事態の中にあって職員の皆様の業務を更に増やしてしまったことに対してお詫び申し上げます。
自分が大使館職員の立場であれば職務を超えて憤りを覚えたと思います。
しかし実際にご連絡頂いた職員の方からは、あくまで私の身体や生命の危険があるために厳に慎んで欲しい旨を丁寧にご説明頂きました。
2020年3月にミャンマーでコロナが本格的に広まってから今回のクーデターまで、在留邦人の安全確保のため常に最も信頼できる情報を発信し続けて頂いている大使館職員の方々には、頭が上がりません。
デモに参加する是非に関して、個人が被りうるリスクを超えて、平和的な抗議活動そのものを台無しにしてしまう可能性を、私の元同僚が指摘してくれています。
ぜひ在留邦人・外国人の皆様におかれましては自身の安全を最優先し、デモや集会などに参加する以外の支援方法を模索して頂ければ幸いです。
私自身も今後はデモに参加する形ではなく、別の後方支援をしていきます。
また、本日ヤンゴンでも国軍支持者とみられる暴漢がデモ隊や通行人に対してナイフなどで危害を加える事案が日中に発生しており、更に一段階治安が悪化したように感じています。デモへの参加だけでなく、外出の際は常に安全に配慮して行動するよう心がけたいと思います。
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