【感想】 映画「シビル・ウォー アメリカ最後の日」
半年前くらいから楽しみにしていた映画を観た。
色々考えたことがあったので書く。
ネタバレを避けている方は、ぜひ鑑賞後に。
公開日の翌日に見に行った。
アメリカの内戦の話、観る前は今の状況、アメリカの中で分断が起きているというところを描くのかなと思っていたが、実際の本筋の方をみていくと、、
とある、ジャーナリストグループに焦点が当たっている話だった。
特にメインとなる女性ふたりが変化する物語である。
なので、アメリカの内戦自体はあくまで舞台に徹していて、観る前の想像とは違ったけど、これはこれで面白い話だった。
何がハラハラしたか
戦争映画というのは往々にして、非日常を体験するハラハラ要素があると思うが、今回はそれが序盤のガソリンスタンドのシーンに現れていた。
車に給油するというは、私たちにとっては日常。しかし、登場人物たちにとっては、それが危険の可能性があるものであり、ガソリンスタンド自体に寄る寄らないだけでも、さてどうする、という判断が付きまとっていた。そういう身構えるところは緊張感があって面白い。
このシーンでは相手がどういう思想を持っているのかが分からない上に、その人が銃を持っていることが、こんなにハラハラさせるものなのか、と気付かされた。
アメリカ分断の行末
アメリカ分断の行末は、一方の側が勝つということでオチがつくが、
その瞬間に、登場人物の覚悟が一つの場所に帰着する。
旅の途中で、どんな判断でも必ずミスはつきものだ、だから何かしら判断して行動するしかない、という台詞があった。
それが舞台にとっては、国民とアメリカ大統領との決着にリンクする。それが、正解なのか間違いなのかはどうであれ、一つの判断・行動と言えるのだろう。
この結末が後々どう転がっていくかはわからない。あれがあったから良かった、となるかもしれないわけで。ただ、今の時代の立憲民主主義という価値観からすると居心地が悪い結末かもしれない。対話も裁判もなく。
今のアメリカに照らし合わせられるか
劇中の内戦は、共和党、民主党の分断を反映する映画になるのか、とおもったが、劇中で手を組んでいるのはテキサスとカルフォルニア。
テキサスは共和党の支持基盤である赤い州、カルフォルニアは民主党の支持基盤である青い州なので、必ずしも現実と完全に同じというわけではなかった。ただ、そこに現状を重ねて観るというのは、映画の見方としてはありだろう。いずれにせよ今観るべき映画であることには変わりない感じがした。特に舞台設定に関しては今見ないと鬼気迫る感じが伝わらないかもしれない。後から観ると気持ちが乗り切れない部分もあるかも。
人間ドラマとして観よう
基本的にロードムービー。
1対3の関係で他人だった人たちが、語らう場面もあれば、危機を共にする場面もあり、旅を通じて徐々に関係が育まれていく。これはロードムービーと言える。
ベテラン記者・カメラマンの2名とその師匠筋にあたる古参の記者、そしてジャーナリスト志望の新米。
まず、古参の記者サミー。仲間内から年寄りと揶揄されながら信頼されていた彼。
彼の生き方は、死後ほかの従軍カメラマンの言葉の通り、人に安心感を与えたり、時には、賢明なアドバイスを与えたりする半ば隠居のような存在だった。でもやっぱり現役でいたいという思いがあるからか、今回の旅にも加わったのだろう。
最後は、残りの仲間を助けるために、今回の物語”一番”のピンチだった場面から救い出した。そこに彼の生き方が凝縮されていたのかはわからないけれど。結局人を助ける人だったのではないか。自分のためにというより人のために。だって撃たれて普通だったらすぐにでも休みたいはずなのに、しばらく運転を続けてたわけで。
戦場で死ぬのは不幸だけれども、ある意味、彼にとっては天命を全うした終わり方だったのかもしれない。たくさんの人に慕われて。いい生き方だったのかも。
続いて主人公の相棒的存在の男性記者ジョエル。彼はモチベーションがおもしろかった。戦場にいくとエレクトする。アドレナリンで動いていくタイプだ。でも慎重な面もあって、本当にベテランらしいベテラン。ぶっ飛んでいるベテラン。相棒が撃たれた時も冷静に現場に向かっていくような人。相棒の死を無駄にしないためには、いくべきところに行くという強い意志があるように見える。あとは、結構人から頼られるのも好きそう。最大のピンチの時にも、自分が喋る、仲介に立つと即答していた。頼もしさがある兄貴肌の人なのか。ただそれでも途中すごい苦しい表情はあったので、決してスーパーヒーローではない。
主人公のリーは、これまでの人生ここまで生きてきたけれども、、ちょっと苦しそうに見えた。今までやってきたことはなんだったんだろうと。自分でも言っていたが、これまでシャッターを切ってきたのは母国に警告を与えるためだったのに、結局内戦が勃発してしまったのはなんだったんだろうと。今にも床にしゃがみそうになっていた。でもそこに、もう一人の主人公、ジェシーが現れる。若い頃の彼女にそっくりだと周りから言われていたし、リー自身もそう思うと言っていた。
無鉄砲で、やる気に満ち溢れていて、これからの世界を担っていくぞという彼女が現れて、リーは、自分と同じ轍を踏ませたくないという思いからか、最初はつっけんどんに突き放す。それだけ苦しい思いをしてきたのかな。風呂場での回想でも酷い戦場の映像がフラッシュバックしてた。
彼女は、子供とも言える彼女にそんな思いをさせたくないと思っていたのではないかな。
そのことが特に行動として現れていたのが、ガソリンスタンドで捕虜になってた人と、捕虜にした人とを一緒に写真に撮るシーン。ここでリーは彼女に教えていたのではないだろうか。仕事に徹していれば自分を守れることを。リーは、取り乱しかけていたジェシーにそのことを気づかせようとしたのだと思う。
墜落したヘリコプターを撮ってみて言った時、どういうつもりだったのだろうね。もしかしたら「わざわざ最前線に出なくても現状を伝えられるよ」ということを言いたかったのかもしれない。
そこの印象的な会話。
わたしが撃たれた時もシャッターを切る?とジェシーはリーに聞く。
あなたなら切る?と聞き返すリー。
それが、最後のシーンに枕詞的にかかっていた。ジェシーは撮っていた。
一方のリーは、師匠であるサミーの写真を消していた。
ということは、さっきの質問の答えは、シャッターを切らない、なのかも。
親しい人の死はフィルター越しだったとしても、受け止められない。
その状況では仕事に徹することはできないということなのかもしれない。
そうして対照的な二人は分けて語ることができない。二人はほとんど同一人物だと思う。
そう考えてみると、めちゃくちゃ丁寧に、問いと答えをセットで描いている映画だな。丁寧なつくり。登場人物たちの人柄を一つのシーンの中で描ききろうとせず、途中の細かなシーンに散りばめられてた。
リーについて
途中、スナイパーに追い込まれているシーンでリーは花を見ていた
そこで心を落ち着かせるじゃないけど、綺麗なものを見てバランスを取っているような気がした。そのフォーカスの先にジェシーがいて、まるで彼女を美しいものと思っているよう。その綺麗なものを、最後、自己犠牲でもって守る。その瞬間リーが女の子に乗り移った気がした。「思いを引き継いでくれ」「あなたなら私より上手くやれる」そう叫んでいるような気がした。
その最後のシーンはとても、辛かった。エンドロール中もずっと「死ぬ必要あった?」と思ってた。「殺す必要ないじゃん」と。どうなんだろう。やっぱ苦い。、殺す必要あるのかな。それがA24の持ち味なのか。
途中、平和な街で服を試着するシーンがあった。そこでジェシーはリーの笑顔を引き出していた。リーも本当は、ああいう日常を過ごしたかったんだと思うんだよね。ずっと苦しい戦場を見てきて過ごしてきて。だからあの笑顔の瞬間、ちょっと救われたような気がした。一瞬でも苦しい現状を忘れられて。
リーは今までの人生を悔いていて、本当は笑っていきたかったんだろう、でも同時に、今更変えられないという思いもあったんだと思う。だから服も買わなかったし。
でも、女の子の方は服を買っていた。それを見て、リーはきっとジェシーは私より上手く道を歩んでいける、と思ったのかも。だから最後、私はここで倒れるけどあなたはきっと大丈夫。と身を挺して守ったのかもしれない。
以上です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。