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「ばいばい、アース」に出てきた「世界を穿孔せよ(デュルヒ・プレッヒェン)」は結局どういう意味? ①

始めに

 小説「ばいばい、アース」は片手の指の数よりは読み返しているのですが、今まで何となくぼんやりとした認識で読んでいた部分を自分なりに言語化してみようと思い立ち書いてみました。

あんまりまともな学もないし、語彙力も知識お足りず自分としても「なんとなく」を余すことなく明確にできたとは思えないが、以前よりはハッキリとしてきたと思います。

 自分なりの解釈なので、ほかの読者の解釈の否定ではないです。あくまで自分はこう読み取りましたってのを何とか文章に仕立て上げたものです。

できればほかの読者の解釈も読みたいなー、noteの記事にしてくれないかなー


世界を穿孔せよデュルヒ・プレッヒェンってなに

  <唸る剣>ルンディングの望みであり意思。本作のテーマでもあり、原作では事あるごとに出てくる言葉。アニメでは1話の回想シーンくらいで影が薄い。次に出てきたのは9話なので視聴者の記憶に残ってるか不安。


原作において花が咲くことデュルヒ・プレッヒェンという使われ方もされており、複数の意味や概念が込められた言葉。いくつか関係ありそうな本文を引用してみます。

得難い適所を自ら外れ、唸りを上げろ。それがお前の望むもの、お前が行こうとしている所。お前がそこに存すことの由縁を取り戻せ。

それは正しく、花が咲くことを意味した。花が一つそこに咲くとき、それは、そこに咲くかもしれなかった他の、無数の花の亡骸の上に咲いているのだ。

自分がそこに存在する証しを立てることで世界はその存在の影に穿たれる。それこそ真に花が咲くということ

適所を外れて、唸りを上げるんだ……そのとき、世界に私という名の孔が開く。世界に私の名の形をした刻印が刻まれる。私という存在が、真に花を咲かせる──これは、私の剣が、私に教えてくれたことなんだ。

4か所ほど引用してみましたが、いまいちピンと来ないと思います。と、いうことで深堀をしていきましょう。

 「durchbrechenデュルヒプレッヒェン」はドイツ語で「突破・打ち破る」という意味です。また「durchデュルヒ」は「通過・貫通」、「brechenブレッヒェン」は「破る・壊す」となります。

前者はその障害となる相手や対象が既にあることが前提ですが、後者の単語2つはその対象を自ら定める必要がありその対象は障害に限らない。作中であえて中黒を打ち「デュルヒ・プレッヒェン」となっているのはここら辺が関係あると思っています。

では「世界を穿孔せよ」とはなんなのか


 ここで言う世界とは「今、自分が認知している範囲の社会」という意味でとらえて下さい。それを穿孔するとは、今居る世界を越えて次の世界へ向かうということになります。ものすごく単純に云えば成長。

これは今の居場所から逃げることとは違います。仮に今の居場所に満足していたとしても、それを置き去りにしてでも目指したい場所があるという強い思いにより実行される行為であり、自己の証明への欲求であるとも言える

 花で例えるなら種子の殻、そして地面、蕾から花へとかつての状態や場所を糧に新たな姿になるように。人間であれば親の庇護下から幼稚園や保育園そして学校へ、そうして自分の進路を定めて社会へ出るみたいなことですね。

義務教育の範囲は勝手に越えるべき目標が出てきますのでdurchbrechenデュルヒプレッヒェンで、その後は自分で目的を決め、目標の取捨選択が必要なのでdurchデュルヒbrechenブレッヒェンをしていくという感じでしょうか。

 少し話がそれたので戻しましょう。「世界を穿孔する」とはなんなのか、です。穿孔すれば必然として穴が空きます。前述の通り、今いる世界を抜けても次の世界が待っているわけです。そこで先程の穴の存在が重要になります。すなわち世界に残された者はその穴を通して次の世界を垣間見ることが出来ます。世界を穿孔/先行した人を通じて道があることを知り、倣うことが出きるということです。これは何ら特別な事ではなく、日常でもよくある風景だと思います。スポーツでも自分が出来なかったことを、可能にした人を参考にしてそれを出来るようになったなんて事は多いと思います。

どうでしょう、上記の事を踏まえると3つ目と4つ目の引用した文章の意味が分かりやすくなると思います。

”自分がそこに存在する証しを立てることで世界はその存在の影に穿たれる。それこそ真に花が咲くということ”

影は当然に光がなければ発生しない。ここに置ける光は目的と言い換えることが出来ます。目的を定めた瞬間に、そこへ向かう自分の影が世界に生まれることになる。影は自分の背後に生じる。故に影が穿つ世界は既に通りすぎた場所でもある。自分がどうなりたいかと決めたとき、生き方を決めたときに既にある種の存在の証は成立していて、それは「なにも決めていなかった世界」を「穿孔」した瞬間でもある。

世界を穿つ影とは自分の存在の証であり、個人であることの証明でもあり、成長の証なのだ。”真に花が咲く”とは個人として自立がなされた状態とも考えられる。そして4つ目の引用部分へ

”適所を外れて、唸りを上げるんだ”

これも新たな目的を掲げることだと捉えると分かりやすくなると思います。現状(適所)に甘んじることなく更なる高みへ行こうと行動する(唸りを上げる)ことって感じじゃないでしょうか。目的に邁進する熱気は周囲にも伝播しやすい。王とベルの会話も多少わかりやすくなるんじゃないでしょうか。

”世界に私の名の形をした刻印が刻まれる”

さらに続くこの引用部分。私の名の形というのは「自己の在り方」、刻印が刻まれるとは「認められる/受け入れられる」という意味合いだと思います。「認められる/受け入れられる」のは他者からではなく「自分」で「自分」を認める/受け入れるということ。すなわち「自分を理解して肯定する」ということです

ということで、まとめると私は世界を穿孔せよデュルヒ・プレッヒェン」とは「成長した自分を肯定しろ」という意味なのではないかと考えています


「月すること」との関連


 作中でもうひとつのテーマとして出てくる「月すること」。簡単に言えば発展と回帰であり同じようなものだがその実は違う状態である。「世界を穿孔せよ」と似たテーマであると分かります。「月すること」は世界の在り方であると同時に「人としての在り方」でもあると作中で語られています。前者の意味合いはわかりやすいので、この項目では後者の人としてについて書いていこうと思います。


 発展とは今置かれている状態からの飛躍であり次の段階へ展望が開かれることです。現状を捨て去るという意味ではなく、あくまでも土台として今までの事象が存在して、目的達成の後にそこからの新たな目的の選択肢が増えた状態、今後の進路において分岐や広がりを持っている状態とも言えます

発展の例として前の項目と同様に義務教育を使うなら期間修了時の進路選択でしょうか。進路の選択においてはそれまでの経験や知識、社会生活において抱いた憧れを前提/教訓にして自分の目指すべき進路を決めるときなど。キャリアアップや心機一転の為の転職も当てはまりますね。

似た言葉で進展がありますが、こちらは段階の中における進捗や進行であり、目的にまでに設定された目標が達成されるような意味合いです。進展が一定まで到達しなければ発展には至らないのでセットで考えてもいいかもしれません。そしてこの両者を合わせて成長と言い換えることができる

 回帰とは運動/行動の末にもとの位置にもどり、またその運動/行動を繰り返すこと。ここで注意して欲しいのは「もとの位置」とは観測する側からの視点と運動/行動する側としての視点のどちらでも成立し得るということ。この「もとの位置」については座標的な意味より状況や環境といった意味合いですね。

作中では歯や毛の生え代わりに例えており、現在見ている歯や毛と一年後に生え変わったそれを見比べたらパッと見は変化が無いようにみえるが、その実は入れ替わっていて異なるものであると説明していてどちらかといえば座標よりですが、王がぼかして説明をしていたからですね。

ここで重要なのが「もとの位置」をどう判断するか。それは以前の自分と現在の自分を正しく理解し、さらに客観視(観測する側の視点の理解)することが必要です。これらは自分を肯定するということにも繋がります。確かに以前の自分とは違うが、その自分もまた以前から連続する自分であるという変化を認めながらも同一の存在であることを否定しないということ。

 世界を穿孔したとき、新たな世界における次なる穿孔の始まりでもある。次の世界へ発展を成し遂げ、その入り口に立つ時のそれは、スタート地点に立ったという意味では以前と同じ状態に回帰したとも言える。世界を穿孔せよデュルヒ・プレッヒェン」とは旅の終点であり出発点でもある。そのサイクルこそが「月すること」であり、「人の在り方」である。


「止揚」するということ

 作中にてシアンやアドニスが使った「止揚」という表現もまた関係してきます。

が、長くなりそうなのでここで一旦記事を分けることにします。次回、止揚とかピリオドとか関係しそうなその他の用語について書いていきます。

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