銭湯はフリーダム
入り口の懐かしい柄入りのガラスを開けると
それはそれは昭和の空間が広がっていた。
「初めて?」
「はい、おいくらですか?」
「450円ね」
と会話が始まる。もちろんキャッシュレスなわけがなく、用意してきた小銭を渡しながら色々話しをする。
「もうボロボロよ、90年だから」
と女将さんは一枚板で作られた立派な番台をなでながら言った。
見渡すと、レトロなフォントの広告に、カラフルな紐で編んだマット。風呂好きには、うーんたまらない。
ロッカーには鍵もなく、番台に預けるスタイル。こんな時代だけど、初めて会った女将さんを信じて預けた。
中に入ると、シャワーホースなどはもちろんなく、壁についているシャワーで身体を洗う。見渡す限り、ご近所のおばちゃんが何人かいる。シャワーからは熱湯が出てきて、頭を洗うまで時間がかかった。
シャワーを指差し、
「熱いやろ?」
いきなりおばちゃんに話しかけられ、私も渾身の福井弁で
「ほやって」
と答える。
※(和訳:「熱いでしょう?」「ええ、とても」)
暑すぎて困っていたら、今度は水ぐらいぬるくなったので、みんなで笑った。
「ぬるいやろ?ぬるいってわかるか?」
とおばちゃんが聞いてきたので、
「わかるざ私も福井やで」
※(和訳:「お湯がぬるいですね」「分かります、私も福井なので」)
と答えた。
ぬるいは方言なの?と思いながら、平和だなと感じていた。
いきなり話しかけられても、大丈夫な免疫力が私にはある。田舎で培われたコミニュケーション能力は、いつまでも私の中に存在している。
身体を洗い、メインのお風呂に浸かってびっくりした。熱い、熱すぎる。もしかしたら自分の身体が意外にも冷えているのかもしれないが、それにしても熱すぎる。ええい!ここは江戸っ子になって、ゆっくり入りながら慣れようと思った。
天井から湯気のしずくが顔に落ちてきたので、ドリフのババンババンバンバンが脳内に流れる。見上げると、壁に富士山などの絵はなく、うっすら何かが書いてあった跡があった。気がつくと、おばちゃんはさっきよりも増えていた。
ここにはメインのお風呂と、その横には小さな浴槽がある。そこに入っているおばちゃんが、何やら叫んでいる。
「熱いわ!熱い!」
なんだって?このお風呂より熱いなんて、どゆこと?と思いながら、湯当たりしそうだったので、一旦上がって休んだ。
「どした?なんかないんか?」
と女将さんが優しかったので、休んでるだけだと伝えると、そこにいた違うおばちゃんがまた話しかけてきた。
「無理せんと入らなあかんでのう」(無理しちゃダメですよね)
とっさに、
「ほやってー」(そうですよね)
と答えた。
「ほやって」は魔法の言葉なので、福井県に越してきた人は是非覚えておくといいだろう。この言葉には、同意の他にもさまざまなニュアンスが含まれている。
小さな浴槽は、薬湯だった。休憩し、今度はその熱いという小さな浴槽に入ってみた。
ん?あれ?意外といけ…なかった。なんか茹でるの?と思うほど熱かった。私は断念して、ギブアップした。熱い熱いと叫んでる割には、そのおばちゃんはずっと入っていたので再度驚いた。
上がって着替えてると、女将さんに熱いと皆が口々に言っていた。数分後、また女将さんに、薬湯が熱いって言ったっけ?と尋ねていて、思わず吹き出した。
ドライヤーがなかったので、タオルで猛烈に頭を拭いた。どっからどう見てもそんなものは無く、ここのスタイルはこうなんだなと肌が感じたため、何も聞かなかった。
裸のおばちゃんらがたくさん座っていたので、扇風機をつけたかったが我慢した。郷に入っては郷に従おうと本能がそうさせた。皆寒い寒いとファンヒーターに当たっていたからである。
あるおばちゃんが、女将さんに「つんぼ」と言っていた。(「つんぼ」とは田舎の差別用語で、耳が悪い人のことを言う)
女将さんは、補聴器をつけてるんだから勘弁してよと笑っていた。明るいなあと思った。
その後も、おばちゃんたちは話に花を咲かせていた。
お風呂の時間よりもここ(脱衣所)にいる時間の方が長い
友人にハガキを何年も送って返って来なかったので、勝手に死んだ事にしていたら、死んだ本人からハガキが届いてびっくりして反省した
など、芸人さん顔負けの面白トークだった。
髪の毛も半乾きになり、帰る間際…
「そういえばあのおばちゃん、ずーっと洗ってるんやざ」
とあるおばちゃんが言った。そういえば、私が来た時からかれこれ1時間以上洗い場で身体を洗っているおばちゃんがいた。気にしてなかったが、改めて言われたら長いこと洗っていたな、とニヤついてしまった。
「でもあの人話しかけても全然喋らんのやざ」(あの人は全然喋らない)
と言った後、
「でも昔ここで倒れた時あの人に助けてもらった」とも言っていた。
なんだかんだ言って、歴史の中には色んなストーリーがあるんだなと思った。おばちゃんは話がうまいので、ついつい引き込まれてしまう。
よくよく考えたら、風呂場の中はフリーダムだった。何故か洗い場ではなく、浴槽の真横で身体を洗うおばちゃんや、一生身体を洗っているおばちゃん。文句を言いながら熱い風呂に入るおばちゃん。にぎやかな脱衣所はほとんど公民館だった。
ここに現代の高い常識は通用しないし、Googleマップのレビューを真面目に書く人は来ない方がいい。施設の古さや、こういった人々のコミニュティに魅力を感じられなければ、星は1になってしまいそうだからだ。
銭湯の魅力は、単純に施設だけでなく、そこに来るお客さんも大切な登場人物だ。最後に女将さんが、
「にぎやかやろお、あの人ら毎日きてる常連さんやから、ここは家族みたいなもんなんやー」
と言った。なんだか感動してしまった。
そこにはインターネットも何もないけれど、彼女たちの心は豊かに見えた。
きっとまた来るだろう。その時も元気でいて欲しいな。
福井県大野市の東湯さん⬆︎