「そんなんでは社会でやっていけないぞ」の脅しに意味があるんだろうか

日本の学校で、職場で、多くの人が言われてきたこと、それは「そんなんじゃ、社会でやっていけないぞ」という脅しではなかったでしょうか。

宿題を忘れていったり、成績が悪かったり、頑張りが足りなかったり、ちゃんとおとなしくしてられなかったり、その度に言われる言葉。

もともと真面目にできる人はいいんです。

が、これってある程度は生まれつきのものもあるよね。
そして、真に受けて、「自分は社会ではやっていけない」と思い込んでしまう人もいます。

ところが、いっぽ日本の外に出ると常識が全く異なるようです。

海外に出て気づく人と社会のテキトーさ

海外に行っていつも気づくこと、それは「こんなんでも社会は回るんだな・・・」です。人々と社会が意外にテキトーなことです。

ドイツに行ったら鉄道があまりに遅れすぎて、途中で「キャンセル」されたり。
ジョージアではソ連時代のアパートを誰も管理しておらず、入り口が落書きだらけだったり。
その辺に野良犬がわんさかいるけど、みんな餌やったり撫でたりしてるし。
ゴミの分別なんて誰も気にしてなさそうだったり。
マレーシアでは遅刻してヘラヘラ笑いながらくる人がたくさんいたり。

「そんなん」でも銀行ATMは24時間使えるし、飢えて死んでる人は少なそうで、社会が回っているのを目の当たりにして、「母国のあの忙しさは、ちゃんとしなきゃは、一体、なんだったんだろう」と遠い目になってしまいます。

なんなら、そんな状態でも、母国よりずっと経済状態(見かけのGDP)は安定してたりします。

いやこれ不思議よね。真面目にやっているはずなのに、もしかして空回りしている?

どの「社会」でやっていけるのか、やっていけないのか

私、この「社会でやっていけないぞ」は「そんなんじゃ、会社でやっていけないぞ」の意味かなーと思っていて。

確かに、会社生活では、「そんなん」じゃやっていけない。
会社員生活はほんとに大変です。

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