なぜ人は他人にマウントを取りたくなるのか
こんにちは!
華村@中国さんが、こんなノートを書いていました。
どうしようもなく他人がうらやましくなってしまうのは、自分の持っているものや自分の現状に満足できないから。「年収ウン万円」というのを見かけたらすぐに心がムズムズしてしまって「ケッ、マウント取りやがって。金以外の幸せが見つけられない哀れな奴め」と口汚く罵りたくなるのは、まさに自分がお金という評価軸に対して強烈なコンプレックスを持っているから。
どうにかしてこの地点から離れたほうが良さそうな気がします。
マウンティングしてしまうのはなぜなのか。
または、他人が「マウンティング している」と感じてしまうのはなぜなのか。
人によって世界観が異なる
精神科医の名越康文さんが、面白いことを言っていました。
マウンティングしがちな人と、そうでない人がいるのですが、これには「世界観」の違いがあるというのです。
つまり、「世の中は競争だ」って思ってるタイプの人と、そうでない人がいるっていうのです。
マウンティングという言葉の背景にはもうひとつ、「序列を気にする人」と「序列を気にしない人」との間にある、大きな認識のギャップがあると僕は考えています。一言でいえば「序列を気にする人」というのは、基本的に「他の人も本当は、序列を気にしているはずだ」と思い込んでいる、ということです。
これはなかなか面白い視点です。Twitterなんかみてても思いますが、他人と自分が根本的に「違う」ことを想像するのって案外難しいんですね。だから、自分と同じように相手も考えているはず、とみんな思っちゃう。
もちろん現実には、何かとマウンティングしようとする人もいれば、そうでない人もいます。しかし、ついマウンティングをする人は「程度の差はあれ、人は誰でも例外なく、相手よりも優位に立とうとしているはずだ」と信じているし、マウンティングをしない人というのは、「ちょっとしたことで人より優位に立とうとするのは、あくまで例外的な、変わったパーソナリティを持った人だけだ」と無意識のうちに考えている。
この方は、とある企業が開発した、人間を「チンパンジータイプ」「オランウータンタイプ」「ボノボタイプ」「ゴリラタイプ」に分ける「類人猿学」を紹介しています。
マウンティングするのは、大きく分けると「チンパンジータイプ」、次に「ボノボタイプ」なんだそう。
序列を強烈に気にするチンパンジー
猿は種類によりかなり生態が異なり、チンパンジーは社交的で活発な反面、序列を気にして強烈な競争社会で生きているのだそうです。オランウータンは基本単独行動で、そこまで序列を気にしません。ゴリラは調和を重んじ、ボノボは感情で動きます。
もちろん、オランウータンタイプやゴリラタイプも、序列と言うものを全く意に介さないわけではありません。しかし、序列の中で「自分が上位に行きたい」という欲求が、チンパンジーに比べると少ないのです。
ここから先は
1,096字
この記事のみ
¥
100
期間限定!PayPayで支払うと抽選でお得
これまで数百件を超えるサポート、ありがとうございました。今は500円のマガジンの定期購読者が750人を超えました。お気持ちだけで嬉しいです。文章を読んで元気になっていただければ。