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自分たちが考える「誰かのため」は、往々にしてズレているーー無意識のエスノセントリズムはなぜ生まれるか

親が「子どものために」と思ってやったことが、当の子どもにとっては期待外れだった、なんてことはよくありますよね。

しかしこれ、大人だけで考えた「子どものために」だけじゃありません。自分たちが「誰かのため」と考えたことは、実際にはズレていることが多いです。

社会全体でも見られます。
背景が違う人と話さないと、相手の考えなんて分かりません。

本日はそんな仮説です。

多様でもインクルーシブでもない決定者たち

日本での多様性論議において、多様性やインクルーシブといった言葉が使われる場にいる人たちや決定権を持つ人たちが、実際には多様でもインクルーシブでもないことがよくあります。

以下は「すべての女性が輝く社会づくり本部」の会議ですが、写真を見たらほとんどが背広をきた男性です。


これ、なんかのギャグかな? と思ってしまう。わざとここを写したの? どうなんでしょ? これじゃ輝けねぇっすよ……。

「誰かのために」と言いつつ、自分の視点のみで考えているだけだったりします。だから言葉が嘘っぽくなってしまう。

少数派や異なる背景を持つ人々の視点を十分に考慮しないと、彼らのニーズや期待を理解することはできません。

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