「我慢しない」人が増えると社会も変わる

為末大さんのnoteが良かったです。

「きちんと親や学校で教わった通り生きてきたのになんで途中で言うことを聞かなかった人の方が楽しそうに生きているのだ。ずるいじゃないか」というのが日本の嫉妬の根底にある感情だと思います。

前著「日本人には『やめる練習』が足りてない」に、
「日本の学校は、我慢の練習をするところ」と書きました。

一流大学を出た人は、「無意味な何か」に耐えることができる人です。
それは部活のしごきかもしれないし、受験勉強かもしれません。

「休み時間は外で遊ばないとダメ」
「朝礼では上着禁止」
「消しゴムは白のみ」

最近の学校には、正直、なぜダメなのか、よくわからないルールがたくさんあります。「よくわからないけど、ダメなものはダメ」と学ぶのです。


我慢はいいことでもあるんだけど、問題もあって。
それは、「他人を許せなくなる」人が同時に増えていくことです。

自由に生きている人を見ると、
「ズルい」「私はこんなに我慢したのに、楽して生きるなんて許せない」
と怒りが増幅していきます。

我慢しない人が多いと社会はどうなるのか

では、我慢しなくなると社会はどうなるのか?

私が住むマレーシア。
コンビニで働く人が携帯で話してたり、歌を歌いながらレジやってる人がいるのは当たり前。
そこに「ちゃんとしてください」「迷惑かけないでください」「我慢して黙って働きなさい」という圧力は、かからないようです。

小さな子供を預けてジムに来ているお母さんも普通にいます。
別に責められないようです。

私が90年代、最初にあったマレーシア人も小さい子を三人置いて東京に来てたのでした。びっくりしました。

もちろん、身内には不快に思っている人もいるかもしれません。
が、みんな自分のことで忙しいので、そもそも他人をそこまでみていないようです。

ある方からは、

「他人のバッググラウンドは見ただけじゃわからない。教育を受ける機会がなかったかもしれない。自分の価値観で決めつけない(ジャッジメンタルにならない)ようにしなさい」

と言われました。教育を受けた人ほどそう考えるように見えました。

学校も同じです。

私の長男はいつも授業中に歌を歌っていましたが、先生から、
「みんな、彼の歌が楽しみなんです」と言われて仰天したことがあります。
立ち歩いている子はフツーにいるそうです。

いじめられたら、学校を辞めて転校するのは割と普通です。
長男、9つもの学校を体験しました。

もちろん、中には厳しいコミュニティもありますし、宗教の戒律の厳しい人も多いです。最近では都市化が進んで、日本のように厳しくなりつつあると言う声もあります。

けどね、そこを差し引いても、まだまだ、圧倒的に社会がリラックスしてるんですよね……。

なのに、そんなに不便は感じません。

例えば銀行は365日24時間 ATMが使えます。
ケータイの SIMはパスポートがあればすぐに買えます。

リラックスしてるのに、意外に快適

「ズルい」を許さないとどうなるのか。

他人を必要以上に監視する人が増えると、社会はどんどん息苦しくなり、イノベーションも起きなくなる。

共産時代のカンボジアを描いた映画「キリング・フィールド」。

国民全員が同じ黒い服を着て、同じものを食べる生活でした。
外国のラジオを聞くのも禁止。反対する人は全員殺されてしまいます。

「平等」は突き詰めると怖いな、と私は思いました。

けれども、学校時代から延々とつづく「我慢」はそう簡単に自分を変えてくれません。

「自分にある小さな嫉妬を認める」ーーまずはここからだと思います。
嫉妬している=羨ましいのかも、と言い換えてみる。

自分を縛っている鎖を少し解放してみる。

そこから、何かが変わるかもしれないです。

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