40代に来る「自分は本当にこれでいいんだろうか」迷いと人生の変え方について
こんにちは。
日本で標準的な「レール」に乗ってきた人は、20代はがむしゃらに仕事を覚え、30代でようやく仕事を任されるようになり、そして40代になると「本当にこれでよかったんだっけ?」となる。
最近の知人には、このパターンが、多いように思います。
20代だったときには見えなかったことです。
人生の「踊り場」にきた人々
フィリピンに英語留学に行くと、こんな「人生の踊り場」にいる人がたくさんいます。
私の世代、新卒時の会社に残っている中の人でも、実は「自分は本当にこれでいいんだろうか」と悩みもがいている人の方が、多いんじゃないかな……。
社会的な責任の重さゆえ、その迷いを、見せるか、見せないかの違いだけで。
「本当に自分の人生は、これでいいんだろうか」
「自分は何者なんだろうか」
この悩み、古今東西、多くの人が抱えて生きてきたことです。
猫山課長が相変わらず、染みることを書いていて……。
相変わらず凄みのある文章で圧倒されます。
「漆黒の現実と未来」を前にしてどうするかを問われている、と猫山課長はいいます。
そして「遅すぎるのでは」と感じてしまう。
これを見ないようにしたくなるーー誰でも。
「全身の血が引くような」この恐怖。
これには、私も覚えがありました。
いつ諦めるべきなのか?
人はいつ人生を諦めるべきなんでしょうか。
私自身の話です。私が「もう仕方ない。遅すぎるかな……」と受け入れるべきかどうかを煩悶したのは20代のとき。
それだけ狭ーい世界に生きていた、ということです。
ただ最初の会社が運よく、男女の差が激しい金融機関で、「この会社にいても人生の希望はない」と見切りをつけたのです。人生、何が幸いするか、わかりません。
しかし40代にもう一度「体験を増やそう」と思って、全てを処分してリセット。
マレーシアに来て、自動車の運転を覚え、マレー語を勉強し始め、若い人に混じって外資系企業で働いたり、インバウンドの現場で、ハッピをきて売り子をしたり、メディアの編集長をやったりしました。
ゼロからのスタートなので、ほぼ新卒と同じ給与です。
プライド0じゃないとやっていけません。
このとき、貯金が大いに助けになってくれました。
贅沢しなければ、家族でこの金額で楽しく生きていけることもわかりました。
そして今、パンデミックで仕事を失ったので、noteで文章を書き、Voicyで配信し、kindleで本を出して生きています。
私は今、何屋さんなんでしょうね??
40代の体験の寄せ集めが、今、私の書くものの原動力になっています。
「体験を増やすこと」はこれからも、体力が許す限り続けていきます。
いつ、人は諦めるべきなのか
40代、私からみたら、まだまだ若いです。
そして、50代、60代になると、「体が思うように動かない」現象が出てきます。耳が聞こえない、老眼でよく見えない、歩きにくい……。こうして、人は自分の機能を失ってきて初めて、その価値に気づくのかもしれません。
体が動くうちにやれることをやりましょ、と思います。
動けなくなってからでは、できないことがあるのです。
そして貯金(お金)は、その時の助けになります。大いに!
まず、自分の時間を取り戻す。
少しずつ自分のやりたいことをやってみる。
これを続ける。
試してみる。
以上。
ーーそんな感じで、サラリーマンにはサラリーマンの戦い方があると思うのですね。
「しりあがり寿」さんがキリンビールの社員をしながら漫画を描いてたのは有名ですが、いきなり転職したり留学したり思い切るのもいいけれども、まずは世界を広げて体験を増やすのがいいのでは、と思います。
時間を作って海外に出てみると、自分の世界観がひっくり返ったりします。
その体験が、たとえサラリーマンを続けるにしても、きっと50代以降の人生を豊かにしてくれると思います。
冒険ができるだけの柔軟性も、またいつか失われていくのですから。
それではまた。
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