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家族や田舎などの共同体がなぜ復活できないのか

こんにちは。今日は引用だらけなので無料記事です。
ムーニーマンさんのnoteが興味深かったのです。

ボクは、何度も書いていますが、本来社会的動物である人間が、伝統的な宗教観も捨て、伝統的村落共同体も捨て、家族的な終身雇用の企業社会も崩壊し、「個人の尊重」「多様性」を認めると同時に、「個人自由主義化」と「格差社会」が同時進行で急速に広まり、丸裸で投げ出された個人が「孤独」という絶望に陥ってしまうことに、非常に危機感を感じています。
現代、何らかの共同体を構成しようとするとき、今更新たな共同体を作るなど、ナンセンスな話で、もしできたとしても、それは一時的なもので、永続的な活動はできないと思います。
宗教やイデオロギーに基づいた共同体など、日本に根付かないか、オウムや日本赤軍など、それこそ先鋭化して、失敗した体験しか無いではないのでしょうか?

結局は、日本という国に根差した、直径家族の構成を元に、物理的な居住空間=「地域社会」を軸にした、既存の地域共同体を、何とか我々みんなでレストアしていくしかないんじゃないかと思っています。

これなぁ……本当にそうなのです。
私も本当になんらかの共同体を回復するのが一番いいように思うのです。

が、しかし、なのです。

私のヒアリングの範囲内ですが、おそらく問題は、家族などの日本の共同体に嫌な思い出がある人が多すぎることだと思います。

一筋縄ではいかないのです。
「東南アジア式 『まあいっか』で楽に生きる本」にも書いたのですが、たとえばマレーシアと比較しても、なんでか「家族が大嫌い」「共同体にはもう二度と帰りたくない」な人が多いのです。

むしろ日本人としては、「なんで家族がそんなに好きなの」と問いたくなるというか。


日本の共同体はなぜうまくいかなくなったのか

田舎から出てきて、「もうあそこには、二度と戻りたくないです」という人をたくさん、見てきました。コラムニストの川崎環さんは「帰省ブルー」という言葉を紹介します。

トーキョー人の顔をする大人たちが背後に捨てたもの、それはあえて極言するなら「古き悪しき日本」「その中で育っていた過去の自分」である。お正月やお盆が近づくと、ネット上に必ず(しかもわりと硬めの媒体で)登場する声や記事がある。

大人たちの「帰省ブルー」だ。

結婚して家庭があったり独身だったりはさまざまだが、ようやくコロナ禍も落ち着いた盆暮れということで、田舎へ帰る。すると、老いて背中の小さくなった両親や祖父母や親戚に囲まれ、雑用を頼まれ、酒席で子どもはまだかだの早く結婚しろだの、地元に帰ってくる気は(そして同居する気は)ないのかだの、それに比べて弟の(妹の、従兄弟いとこの、同級生の……etc.)誰々は優しくて立派だの、都会の価値観とは違ってうんざりするような、強固に保守的な田舎ならではの理屈を聞かされる。

https://president.jp/articles/-/65232?page=2

家族が嫌い、という人もいます。

最近、作家のさくら剛さんが介護について書かれていました。有料記事ですが、冒頭だけ。

父と一緒に暮らすことがなにがそんなにストレスなのかというのは、色んな要素が組み合わさっていて、今の説明だけでは足りずもっとうちの家族固有のドロドロした闇の歴史のようなものが関わってくるのだが、そこまで詳しく書くと長くなる。
この父との生活が精神を破壊されるほどのストレスだということはすでに母が証明しているが、この後この私も自らの身で学ぶことになる。また後で順次、うちの家族が抱える闇についても書いていければと思う。

https://note.com/sakusha/n/n2666834a7d2f

私も、自分の周りに、最高に嫌いな人がいた。
人の気持ちが想像できない。自分さえ良ければいい。店員さんや配達員さんなど、社会的に関わる人たちに対して偉そうな態度を取る。話し合いが通じない。人の迷惑を考えない。
いつも私は、うんざりしながら思っていた。
この人はあまりにもモラルがなさ過ぎる。ここまで他人に配慮できない人間がいたのか。自分が関わっている中で、断トツに最低な人間だ。許せない……! こんなやつ、俺の人生に一切関わって欲しくない……。
みなさん、想像してみて欲しい。
それくらい嫌いな人間と、2人で一緒に暮らさなければならないという状況を。
しかも、その嫌いな相手の面倒を見ながら。

いつも威張って、飲食店でスタッフに怒鳴り続け、周りの人を奴隷化するのが当たり前な人と一緒に生活するのは、難しい。

昭和の時代は、「星飛雄馬のお父さん」みたいな人がたくさんいました。あちこちで「飯がまずい」とか言ってちゃぶ台をひっくり返して、家庭・共同体に当たり散らしていたわけです。

それが、なんとなく家族が壊れた大元の原因な気がします。

その飛雄馬の父さんコピーが老人になって、現役世代に頼る時代が来てしまった。けれど、もう令和の人々の多くは「飛雄馬とーさんの面倒は見切れんわ」となってます。

だから介護の現場でも要介護者による「暴力・暴言」が大きな問題になっているんでは。

SNSで主に暴れてる人たちの多くが実は高齢者であることは、以前この本でも紹介しました。ただなー、この人たちは「そういうのが当然」の時代に生まれたので、彼らの責任かと言われたら難しい。

しかし、仕事ならともかく(それも嫌だけど)、他人の暴言や暴力や毎日続く愚痴を、心が安らぐはずの家庭で一緒に住んで受け続けたら病むのです。

さくらさんの手記はとっても長いですが読み応えがありました。

そんなわけで、「田舎には死んでも帰りたくない」「家族を捨てたい」という人を、私は数人知っています。

せめてうまくいっている共同体を存続させよう

で、さっきのムーニーマンさんの話に戻りますと、せめて、今うまくいっている共同体を存続させていくのがいいのかなと思います。

発展している地域には、そういう頑固な勢力が比較的小さいんだと思います。

私は東京育ちでシングルマザーの家庭ゆえ、実はあんまり嫌な思いをした経験がないのです。子供の頃は、かなりボロい家に住んでたけど、揶揄われた記憶がないですし、都市部には自営業の人も多かったので気楽でした。

東京に人が増えるのはこういった精神的側面が大きいと思う。

今、家庭や共同体がある人は、できるだけ半径100メートルくらいの人に親切にして、共同体のムードを悪くしない努力をすることが重要かなっと思います。

地方でも移住者や外国人を受け入れて比較的うまくやっている場所もあるわけで、生き残る地域とそうでない地域がはっきりしていく時代が来ると思っています。

それではまた。

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