仕事が全てに優先する不思議な日本社会
今日は短いコラムです。最近、猫山課長のこんなnoteを読んだのです。
人は、仕事であればどこまでもやる。どこまでも、残酷になれる。
だからこそ、退職に追い込むまで他者を責めることができる。
そして、相手が退職した際にパワハラを調査された際、必ずこう言うのだろう。
「私は自分の職務を遂行しただけです。なんら後ろめたいことはない。」
うーむ、この手の話はだいぶ減ったのかと思っていたら、まだまだあるのですね。
「仕事」となると容赦なくなる人、日本には多い気がしてます。
今日はこの話を考えてみます。
追い詰める人たちは正義感でやっている
よく、職場には2:6:2の法則があると言われます。どの職場でも、2割の人が精力的に働き、6割が普通、2割が怠け者になるらしい。多分ですが、追い詰める人たちは正義感が強くて、最後の2割が許せないのかも……。
学校→会社と移ってきて、そのまま「仕事はこうあるべき」と強く思ってて、正義感が強いのも相まって、とことんまでやってしまう……。
悪気がなく「成長させてやってる」「会社のために頑張っているのだ」と思ってるのかもですよね……。
いやなんでわかるかというと、私も若い頃にはそういうタイプだったからです。仕事が全てに優先する価値観で、「働かないのは悪いことだ」と思い込んでた。
電車に乗ると、「俺は仕事で疲れているんだ」「働いてるんだ! 勘弁してくれ」とイライラしている人の気持ちが手に取るようにわかった。
東南アジアの人たちの仕事に対する姿勢
日本と東南アジアを見ていると、良くも悪くも、仕事に対する姿勢が違います。
日本の多くの成人にとって、仕事はコミュニティであり、居場所であり、謎な身分制度でもあり、神聖な何かでもある。
「仕事だから」は日本においては、問答無用の言い訳なのです。
何でもかんでも、「仕事ならしょうがないね」です。
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