なぜ日本では空気が重要なのか
法律より空気を重んじる人たち
ツイッターでこんな疑問をいただきました。
これを受けて私も少し真面目に考えてみることにしました。今のところの仮説は、「日本社会には不信が蔓延しているので、グループが固定化し、ときに空気頼みになってしまうのではないか」です。
「空気」実は何も日本に限らず、多少はどの社会にもあると思いますが、日本の場合顕著です。今日は少し詳しくこの仮説をご紹介しましょう。
日本は「より小さな集団の掟が重視される社会」
日本の社会ってときに法律よりも、仲間内の「おきて」や「慣習」の方が重視されます。
私が大企業に入って驚いたのは、「サービス残業」が当たり前だったコトです。
かつていた会社には残業代を書くためのシートがありました。
ところが最初の月、職場の先輩から「労働法違反にならないように書いてね」と指導されました。「法律違反ですよね? おかしくないですか」と聞いたら「本当のこと書いたら、課長や部長に迷惑がかかっちゃう」と……。空気読んでね、と。
法学部の学生だった私は、いきなり違反をしろと言われ衝撃でした。
さらには、労働基準局からの指摘に備えて、「7時以降に残業するときは電気を消してこっそりやってくれ」と言われたこともあり、呆然としたことを思い出します。
そういえば、大学の有名音楽サークルも明らかに異常でした。でも「こう言うものなのかな?」と思ってしまい、結局ズルズルい続けてしまいました。
このサークルと指導者は、その後新聞やテレビで大スキャンダルとなり、「あーあれはやっぱりおかしかったんだ」と気づいた次第です。
この話、おそらく、日本社会ではどこにもあることだと思います。
法律よりも、もっと小さいコミュニティ(例えば、あるクラスのあるグループの中)では、さらに小さなグループ内の慣習が重要視されている。
学校でのいじめの隠蔽も同じです。
法律に関わらず、「いじめはなかったことにするのがこの学校の慣習」というところでは、いじめは隠蔽されてしまうわけです。
では、グループではどうやってルールを作っているのかといえば、どんなグループにも仲間内の「内規」「おきて」があるんです。この「おきて」はルール化されておらず、空気で決まったり、あるボスの意向で決まったりします。やくざの社会のようなもので、そこにはルールはあるけれど、法律とは異なっているわけです。
ただ、日本には「慣習法」という考え方があり、法律もときに慣習を優先させます。ですから、これは何も特別なことではないわけです。
細分化していくグループ
むしろ問題なのは、このグループが日本では固定化しやすいことじゃないでしょうか。簡単にいうと「出入り」がしにくいんです。
子供たちを見ていても同じで、グループは(保育園くらいから)すぐに固定します。そこで特に女子はどこかのグループに入ろうと必死になります。なぜなら、一度固定化されると、そこに新しく入ったり、抜けたりするのが難しいからです。
こうしてメンバーが固まると、小さなグループ内ではグループ内での「掟」が出てきます。
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